母のがん

退院5日目

投稿日:2022年3月29日 更新日:

あっという間に退院してから5日。

お天気も良く、桜もほぼ満開なのでお花見に行ってきた。

退院してから初めての外。看護師さん二人と妹とわたしで近所をぐるっと車いすでまわった。

酸素のボンベをもって、点滴をガラガラしながら車いすで大がかりな散歩だったけど

日差しがあたたかく、風も気持ちいい。朝はぐったりで出かけるかビミョーだったけど、いざ出かけてみると外に出て良かったね、と話していた

緩和ケア病棟は当然ながら空調がしっかりしていて、風は感じられないからね

これだけでも戻ってきて良かったねと話していた

午前中そんな風に過ごしていたので、午後はうとうとしながらソファで寝ていた。

せっかく介護ベッドを導入したけど、そこで寝るのはせいぜい子どもたちが夜お風呂に入るあたりから朝までで

それ以外はずっとソファで寝転んでいる。座っていられなくてでも人の気配を感じていたい。ぴっぴは保育園だけど、ぴーすけとふれあってると痛みも忘れるのだ

まぁリビングで点滴と酸素の管を広げられると相当に邪魔なのだが、案外ぴーすけはよけて歩いている。←えらい

痛み止めの麻薬はずっと点滴とともに入れているのだけど、それに加えて本人がフラッシュと呼んでいる押しボタンで追加をしている。

初日は一日3回とかだったのが、8回とか9回とか、とくにベッドに戻ってからは増えてきている。

ヘルパーさんに提案されて、足湯をするようになった。わが家にバケツがなかったのでコーナンに慌てて買いに行き

夜お風呂のタイミングで妹に足湯をお願いした。妹は足を洗ったりはあんまりしてくれないみたいで愚痴ってたが

それでも気持ちいいみたいで喜んでいた。その都度やって欲しいことは言わないと伝わらないよ、とやんわり伝えたがまぁお互い無理せずだ

確かに退院してきた頃より、トイレに立てなくなったり、眠っている時間が増えたり、病状は進んでいるようだけど案外元気だ

しかしまぁ緩和ケアのクリニックの先生にはそうは言ってもやはり厳しい状況だと聞いた。

仕事が始まるまでの間、やれることは何でもしてあげたいけれど

足にクリームを塗ってマッサージしながら、1時間くらい夜におしゃべりをするのが習慣になってきたが、本人も「夏まではもたないかもしれない」と漏らしていた

そんなの知ってるよ

きっと、ここでお世話になる間は悪化したら迷惑になると思って元気でいるんだろうな。

麻薬を強くすると意識レベルが下がるから、ぴっぴとぴーすけとお話するために今と同じものを使って欲しいと言っていた

そんなのいいからさ、自分の痛いのを取りなよって

あんまり母のことを好きじゃなかったのに、このあとのことを考えると涙が出る



-母のがん

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

新しくなった横浜市民病院

夜泣きでいったん中断。布団からケータイで頭を整理しつつ書いている。そうそう、かーちゃんがガンなのだ。 母ががん in 横浜市民病院 日曜日に、ふらっとうちにやってきて「りんごが二個あったから食べるかな …

抗がん剤治療が終わっても、尿路感染は続く

全6回のはずの抗がん剤治療が、4回で終了した母。 2回目のコロナワクチンを受けられた 数値があんまり悪くないのと、血管がもうボロボロで点滴をさせるところがないという理由だそうで 辛すぎて途中でやめる人 …

その後の家族

ステージⅣの子宮頸がん 怒濤の数日が過ぎた。手術の日は23時半に帰ってきたが夫は起きて待ってくれていた。 連絡してくれていたが、次の日はなんとか仕事を調整して休みをとってくれていた。悪いなぁと思いつつ …

緩和ケアへ再入院

約2週間にわたって続いた一時退院も終了。4日に緩和ケア病棟へ再入院が決まった。 私の仕事は1日から始まっているが、あいさつだけして帰宅。休みをもらった。 緩和ケアへの再入院は、ベッドの空きとの関係でど …

市民病院の緩和ケア病棟面談

今日はメンタル的にしんどい1日であった。ちょっと吐き出させてもらおう。 かーちゃんの危篤から早1ヶ月。緊張状態は一時的に落ち着いたものの、こちとらどういう状況なのかがわからない。母からのLINEは的を …