緊急事態宣言が出たものの、前回ほどのピリッと感はなくただ医療の現場を思うとできることはなんでもしたい今。
わが家では、夫婦で話し合った結果登園日を減らそうという話で落ち着いた。
ほんとはスパッと1ヶ月お休みしたいのだけど、わたしのキャパシティが追い付かず、週に1日でも2日でもぴっぴを預かってもらえると非常に精神が安定する。(逆にいうと毎日一緒だと煮詰まる)
我が子ながらに3歳児24時間付き合うのは相当体力気力が削られ、預けた方がお互いにとってよいだろうということだ。
うむ。下手に当たらなくてすむ。
しかし一日中遊びに付き合って家事もする平日に加えてぴーすけは最近ハイハイ一歩手前でますます目が離せない。
ぴっぴは二の次三の次…だったがここにきてじっくりぴっぴと過ごして才能を感じること多数。書いておこう。
まず、一番すごいと思うのがふみきりへの愛。
朝、5時半から6時には目が覚めるぴっぴ。
朝ごはんを食べ、6時半から8時まではEテレタイムが定番たったのだが(その間に保育園の持ち物を入れ、連絡帳書き、布団たたみ、ぴーすけの授乳、おむつがえ、朝ごはんの片付け、自分の身支度、洗濯など)
保育園がない日はわたしも何の準備もないので、ゆとりをもって過ごす。
なにするー?と聞くとたいてい「カンカン!」と言ってニューブロックで遊び始める。
カラフルなふみきりの遮断機を作って、「これは音のなるふみきり、こっちは裏だから鳴らないの。」と指示を出しつつ満面の笑みでふみきりごっこが始まる。
途中、遮断機をカスタマイズしたり、警報音が外国のバリエーションになったりしつつ1時間。
わが家では8時からYouTubeを解禁してるのだけどそれもふみきり。
鈴川綾子さんという電車好きの芸人さんとその子どもちっくんの大ファンで同じ動画を飽きるほど見てるが飽きない…。
わたしは歌を暗記するほど歌っている。
それでもなお燃え続けるふみきりへの情熱の炎はもはや才能。すごいよ、ぴっぴ。
あんまりテレビばっかりもなぁと思いつつ、自粛中ではあるがふみきりへと足を運ぶとそこで30分は眺めてる。
しかも毎回何かしら発見してる。「どうして電車来ないのかなぁ。ねんねしてるの?」「次は反対側から電車来るの?」など電車絡みの会話は高度になっていく。
わたしは全然電車に興味のない人だったので。
コロナの前はこのブームが早く去ることを期待していたが、もはやここまでのめり込むものがあってよかった。
ばってんのところは書いてあげたが、あとはぴっぴが書いた。
好きこそ物の上手なれとはこのことよ。将来はふみきりになりたいというのだから、母は君の将来が結果的にどうなるかワクワクしている。
そしてこれは小さいときから感じていたけれど、ぴっぴは歌が好き。
出産祝いでもらった歌の本。バスに乗るときや電車のとき、ぐずりそうなときは歌を歌っていた。
これまたぴっぴがハマって狂ったようにボタンを押しまくってたときは一日に何十曲も歌っていたが、けっこう歌がうまいのだ。
最初は不明瞭だった歌詞も意味を持ち、替え歌までする始末。そして踊り出す。
ずいぶんラテン系な子どもに育ってしまったようだ。
もったいないばあさん音頭を体得してからは盆踊りにハマって、炭鉱節をYouTubeで見せたら何度も見たいとお願いされた。そんな3歳児…
音楽の才能を見込んでわたしが買った電子ピアノは初日こそフィーバーしたが、その後はあんまりヒットせず気長に好きになるのを待とうと思うが、何事もいつどこで花開くかわからない。
さいごにこれぞ保育園にいかなくなって、ぴーすけと家にいる時間が長くなったからわかることだが、ぴーすけの笑いを一番かっさらうのはぴっぴ。
というか、ぴっぴが何をしてもぴーすけの笑いのツボにクリティカルヒットする。
しゃべるだけでドッカンドッカン笑うボーナスタイムがあり、ぴっぴは自分がかなり面白い奴なのではないかと勘違いしている。
たいして面白くないギャグ?のようなものをわたしにも披露してくれるのだが、ぴーすけと同じくらいウケることを強要されるとちょっとな…。
でもまぁそういうポジティブ勘違いもある意味才能。
かーちゃんの怒りのツボを適切にヒットさせる才能ももちあわせているが。
今の、自分がすごいなぁと思うことを年頃になったときどれだけ続いてるかな?
勉強ができることやスポーツができることだけが基準になって、このぴっぴならではの才能が輝きを失っていませんように。