母のがん

緩和ケアへ再入院

投稿日:2022年4月4日 更新日:

約2週間にわたって続いた一時退院も終了。4日に緩和ケア病棟へ再入院が決まった。

私の仕事は1日から始まっているが、あいさつだけして帰宅。休みをもらった。

緩和ケアへの再入院は、ベッドの空きとの関係でどうなるかは誰にもわからなかったが、うまいこと最小限のやすみでなんとかなりそうである。

この数日はいろんなことがあった。まず、満開になった桜を見に、車椅子で看護師さんと一緒にお散歩。イケメン看護師さんを連れ立ってのお散歩は通算2回することができた。

あいにく雨が続いているので、あの2回のお花見は行っておいてよかった。

しかし、体調が良い日ばかりではなかった。

抗がん剤治療後、伸びてきた髪の白髪が気になっていたので、ヘルパーさんと髪を染める予定だったが、結局吐き気が止まらず髪染めどころではなかった。吐き気どめは処方されていたが、「座薬」

子どもの座薬は何度かやったことがあるけど、大人の座薬をやる日が来るとは。これも子育てやってると意外にやれちゃうもんだ。オムツも2回は替えたな。

でもやっぱり本人は不快で、点滴に吐き気どめも入れてもらうことになった。歯磨きするだけで呼び水になって、慌てて胃管を引いて嘔吐回避という場面も。

具合がいい日と悪い日は一進一退。

そして痛みもまた増していく。フラッシュという押しボタン式の医療麻薬を1日に7、8回押す日もあれば、夜2回押すだけで済んだ日も。これも一進一退。

ぴっぴやぴーすけとリビングのソファで一緒にテレビなんか見てると気がまぎれるようだけど、1人でベッドで寝ていると痛みに集中してしまうようだった。

眠る時間も長くなってきた。夜の薬が副作用が嫌みたいで飲まないと、なんとなくボーッと過ごしてうとうとしている。

まい朝「カムカムエブリバディ」を見たいようなのだが、放送直前に寝てしまって見逃している。今まで見てなかったけど、あらすじ伝えるために見始めた。川栄ちゃんすごいな

兄弟の再会なんかもあった。母は三人兄弟の1番下なのだけど、まぁあんまり仲の良くない兄弟で。いろいろあったようなのだけど、久しぶりに再会した。

1番上の伯母は何かと私たちの面倒をよく見てくれていて、近くに住んでいるのもあってよく会うが、伯父さんの方は私の結婚式以来会ったのだった。

母は自分の残りの時間をはっきりとはわかっていないが、これが最後になるかもしれないことはわかっていた。コロナだし

お兄ちゃんに男泣きされるのも嫌だし、と最低限の時間、帰りにチラッと寄る話になっていた。私たちは1時間ほどみんなでお茶をして、小さい頃の話や祖母の話なんかをして盛り上がった。いろいろお土産もいただいて、うちの子たちもお披露目したり楽しい会であった。

母も最後に2人に会って、いくらか話をしたが、いい表情であった。こんなことならもっと早くあってたらよかったのに、とも思ったが、今だからこそなのだろうとも思った。

その後、伯母とその旦那さんであるおじも来た。前回は帰り際にチラッと、であったが今回はまぁまぁ長い時間しゃべっていた。おじさんは結構元気そうなことに驚いていた。

私もこの数日で思うのだけど、がんの人は結構直前まで元気というのは本当で。うちの母も心筋梗塞やら腸閉塞やらがんの痛みやらいろいろあるはずなのに、ちょっとの距離なら歩けるし、声に張りはあるし、自分でストマは替えられるし

20キロぐらい痩せていなかったら普通の生活もそこそこ送れそうに見えてしまう。でも余命あと1、2ヶ月と言われてからもう1ヶ月以上は経っている。いろんなことが「今日」「今」できるうちにやらないと、次はないかもしれない、と思ってしまう。

来客があったこともあり、いろんな話をした。昔話が主だけど、最近のこと、家族のこと、いろんな話をした。意外に元気に過ごせていることを本人も言っていて「なんだかまだまだ生きそうだなぁ」と言っている。

伯母は次のゴールデンウィークまで、とにかく会いにいくからと言っていたし、本人もその辺りまた緩和ケアから長居するなと追い出されないかと心配していた。そうなるとまた我が家にお邪魔して迷惑をかけるのではないかと

迷惑ね。まぁそりゃ迷惑は迷惑ですよ。この仕事前の貴重な2週間に…。でも今じゃなかったらこれはできなかったことだし、みんな何かしら迷惑かけて生きるのが人間だからね。

でもこれが私のできる最大限の親孝行だから、申し訳ないけどこのまま家で見ることは難しいのだよ。

そう言ったら「この数日間はとても楽しかったし幸せだったから大丈夫だよ。」と話してくれた。

いっそうちで死ねたらよかったのにね。みんなが見ている中でさ。そしたら病院で1人寂しくないのにね。そう言って2人で泣いた。でもね、お母さんが苦しんで死ぬ姿を見たくないんだよ。そういう時まで冷静にいられる自信もない。

死について話すのはタブーな気がしたが、もう目の前にまで来ている。怖いに決まっているが、この数日があったことがお互いにとってとても意味のある日々だったと思った。私は、これで本当に後悔することはない。

あとはコロナが収まって面会が再会されるのを待つばかりだ。



-母のがん

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