子どもたちの風邪っぴきと、自分の手のケガと、仕事の繁忙期と
重なる時は重なるもので、忙しいアピールに余念がない。(いやそんなつもりないけど)
だから、感傷に浸っている暇なんて微塵もないのだけど
こんな時、母が生きていてくれたらなぁと思わずにはいられないのだ
きっと、テニスの帰りに保育園に行ってくれただろう
熱が出たらぴっぴとぴーすけを預かってくれただろう
そんな、打算的な考えとともに
ああ、そうだった、それは健康な時の母で
ここ2年の母なら熱を出した我が子たち2人を迎えに行くこともできなかっただろう、と思い出すのであった
思い出す暇もない、忙しい日々の方が
色々考えることもない
考え出すと色々と思い始めて、一昨日は忙しい最中だというのに、寝るまでずっと泣いていた
もっと色々食べたいものもあっただろうに
亡くなるまでの一年は、ストマに詰まったら困ると言って好きはものはほとんど食べれてない
色々なところに旅行も行きたかっただろうに
忙しいのにかこつけて、海外旅行にもついぞ連れて行けなかった
ぴっぴやぴーすけとももっと遊びたかっただろうにとか
思い出せば思い出すほど涙が止まらなくて
あーきっとこれは疲れているんだろうな。そう、泣くのはデトックスだというし
こうやって大人になってなんも気にせず涙を流して泣くのはストレスの発散には良いのだ
そう自分に言っておもいっきり泣いたのだった。
あんまり好きじゃなかったのに、やっぱりもうちょっと長生きして欲しかったと思う。
職場には母と同い年くらいの上司がいて
介護が大変らしい。時々早退しては、心配で話したりするのだけど
「なんてことない。もう死んじゃえって思っているよ」と
まぁ口の悪い人なんでね。半分本気、半分冗談で聞いている
60歳の親、ということはもう親も80代も後半か
介護が長引いて自分を追い詰めていたら、私は今みたいに母を良い思い出と共に思い出せただろうか
上司のように「早く死んで欲しい」なんて思っていたかもしれない
いや、私も余命2ヶ月と言われて家で介護をした日々が「期限があった」から頑張れたけど
終わりのない日々であったならきっと悩んでいた
「いつか終わるだろう」と「いつまで続くんだろう」のせめぎ合いだね
親はどこかでずっと、健康で長生きするもんだと思っていたから
こうやってはしごを外されたようになると、ポカンと穴が空いて、思い出して埋めようとしちゃうんだろうな
夫の両親は健在で、とてもいい方達なので私も大事にしていきたいと思う
夫にも後悔のないように過ごして欲しいと願ってしまう