母が亡くなりました。
長かった闘病生活に終止符。いや長くはないか。病気がわかってからあっという間の1年半だった。
まだ実感ないけれど、忘れてしまわないうちに書いておく。
先週に危篤の知らせが入ってから泊まったり、ギリギリまで病院に居ては帰ったり。
ただこの状態がまた1週間とか続くことも考えられたので、自分達が倒れてしまわないように、連日の泊まり込みはやめたのだった。
呼びかけに対してもあんまり反応はよくなく、おむつを替えようするときに「痛い」と明確にいうものの、痛み止めのフラッシュとかはもう必要としなくなっていた。
手足にチアノーゼが出たら48時間くらいだろう、というネットの記事を見て、それなりに覚悟はしていた。
亡くなる前日の夜、遅くまで仕事をしていたのもあって起きられなかった。
いつもなら6:00には子どもたちが起こしにくるのだけど、7:00近くまで寝かせてくれた。夫は先に起きて子どもたちに朝ごはんを食べさせてくれていた
起きてくると三姉妹LINEにメッセージが。6:00頃病院から電話があったらしい。うっかり1時間も気づかなかったが、慌てて着替えてタクシーに乗り込んだ。夫がジャムパンとお茶を持たせてくれた
大通りでタクシーを拾うと、東戸塚への行き方を知らない運転手さんに当たる。
それでも飛ばしてくれて20分ほどで到着。
先についていた姉と妹が居るはずである。
部屋に着くと姉がいた。妹はトイレらしい。部屋を片付けている姉に挨拶して、母の元に行く。手はあたたかい
しかし、目はもう光が差していないように見えた。
「どうなんだろう、これは息を止めたのかしらね」
「え?!今さっきまで胸が息すると動いてたよ」と姉。妹が戻ったら看護師さんを呼んでみよう、となった。
そう、私が到着し、妹がトイレに行っている間に生きることを止めた母。
妹が戻り看護師さんに確認してもらうと確かに心臓は停止していたようだった。
不思議と間に合わなかったことへの後悔はない。
だってさ、もう何度も覚悟をした毎日だったから。その1日の積み重ねだったから
それでもやっぱり悲しくて涙は出た。今までよく頑張ったねと母と自分に言った。あと妹にも
伯母には連絡していたがそちらも遅れての到着だった。間に合わないことよりも「やっと楽になれたね」という気持ちが大きいようであった。
点滴は外してもらっていた
亡くなる数日前の夜、看護師さんと話をした。もう、チアノーゼも出ていよいよだという中、「もう点滴はいらないんじゃないか」ということを考えていた。
癌の末期だけでなく、過ぎた点滴は体をむくませて苦しくなるというのを読んだからであった。もうこれ以上の延命は必要ない。
最後は楽に逝かせてあげたい。しかし点滴を止めるということは「もうこれ以上はない」ということだからなかなか決断できないでいた。
だけど、痰が絡み体が浮腫んだり、胃のなかに水分が溜まったりするのは苦しそうであった。
「枯れるように」という表現を見つけて、人間最後はそういうふうに死ぬのが楽らしいと聞いて、看護師さんに相談したのだった。
「私も明日そう提案しようと思っていました」そう看護師さんに言ってもらい、翌朝外してもらうことにした。
翌朝、訪問してくれている医師に連絡を取り、点滴は外された。これですぐ息が止まるということはないけれど、このままの状態が永遠に続くことはなくなったのだった。
その翌日の朝、母は逝った。
本当はもう少し前にこの決断ができていたら、と思う。
そしたらみんなが揃った金曜日にみんながいる中で看取れることができたのではないかとも思う。
それでも後悔はない。全てがこのタイミングだったのだなと思うことにした。