妹からラインがきた。病院から連絡が来たとのこと
虫の知らせか、仕事を半休もらって様子を見に行くつもりでいたのでタクシーで向かった。
いかにももう母は虫の息、みたいなラインであったが、到着すると落ち着いていた。先に伯母が定例のお見舞いにきていたのだった。
前日から痰がからむと訴えていて、それを何度が拭き取っていたのだけど、ついに痰を吸引する機械が部屋に入っていた
そして隣には見覚えのある酸素注入器。わが家に母がきたときもお世話になったやつだ
ついに手にチアノーゼというあざができて、自力の呼吸が難しいらしい。しかし酸素は微量で済んでいる
思ったより危篤じゃない感じに安心して、看護師さんに様子を聞いた
血圧はもう測れないくらいの数値であること
チアノーゼが出たので呼吸器を始めたこと
今日何があってもおかしくないが、今は安定してること
夜は誰か付き添ったほうが不安感はとりのぞけるだろうということ
けっこう予断をゆるさないらしい
みんなでかわりばんこに昼食を食べ、様子を見て、夜は私が残ることにした。
妹が何かあって一人じゃ可哀想だし、姉は母と二人きりじゃストレスフルだろう
ならばいったん帰っておいで、と暇を出された
戻るのも面倒だけど、たしかに泊まる施設じゃないので床に寝るには心もとない。それなりの準備をしてこなければ
一旦家に帰って、新聞紙と夫に以前プレゼントした厚手のヨガマットを借り
歯ブラシなどこまごましたものを準備した。ぴっぴが保育園から帰ってくるまで待って、一緒にご飯を食べた
「ばあばのとこまた行くの?なんでー」
「ばあばもうすぐ死んじゃうから最後にそばにいてあげようと思うんだよ」
「ばあばなんで死んじゃうの?」
「お腹が痛いのが治らなかったんだよ」
「お薬してたのに?死んだらどこに行っちゃうの?」
うちは無宗教なのでちょっと答えに困ったけど
「神様がいい人だったらギリ天国かなー。そうじゃないときは地獄かも」
なんて、うそぶいてきた。ぴっぴは天国ってなにーどこにあるのー?と聞いてきたけど、さあね行ったことないからわからん、と流した。
夫に、あとは任せたと託し病院に向かう。その間に死んじゃったとしたらそれもそれで運命。
幸い戻ると相変わらずの母であった。違うのは姉が一人で看てたことだ。
驚きつつも引き継ぎをし、「腕がこんなふうに動いたら痙攣らしいからすぐ呼んでだってさ」と割と重要事項をサラッと伝達され見守りを交代した
新聞を敷き、ヨガマットをひいてタオルを敷いたらまぁまぁ居心地のいい寝床になった。
何度目かの危篤である。
金曜日の夜、まさかホスピスの床の上で寝るとは思っていなかったのでバタバタであったが、結果的に泊まってよかった。
母は一時間おきに「あー」とか「うー」とか訴えてくるが、横で寝てるからすぐわかる。とりあえずヤバそうじゃなければそのまま寝るのを待つ。
なんか出産後の母児同室を思い出した。
僅かな物音に反応してパッと起きちゃう感覚が懐かしい。子どもたちはもう夜に起きることはほとんどないから。
わたしがうつらうつらしていると、ヘルパーさんたちがときどきオムツを替えに来てくれたり、体位を変えてくれる。床ずれ防止だろうがなんて尊いのだ。
覚えてる限りで、21時の消灯と、22:30、1:00、4:00には何かしらしに来てくれている。私がいなければ30分おきに様子を見に来てくれるそうだ。
これか家で介護してたら、わたしは夜は寝ちゃってましたでしょうに。こんなマメに看れないよ(倒れる)
このブログを見てる人の中で、もし政府とつながりがある人がいたら、もっとお給料をせめてアップしてほしい。(施設ではなくちゃんと職員の手に渡るように!)
これから介護を家でやろうか、病院に託そうか悩んでる人がいたら
迷わず施設を頼って欲しい。
親は家がいいと言うだろう。出来るのならそれももちろん選択肢としてありだけど
これ、家で毎日やってたら
こっちが先に倒れる。期限があればまだそこまで頑張れるかもだけど、永遠に続くかもと思ったら「死」を願ってしまうかもしれない
そんな最期はお互いによくないよな。
何度もやってくるヘルパーさんや看護師さんにお礼を言ってたら「私たちはこれが仕事ですから」って笑顔で言っていた。「家族の方のほうが大変ですよ。ずっとそばにいるのって」
本当に頭が下がる思いである
依然として母は生きている。