くらし 母のがん

今日も今日とてお見舞いだけど、暇なので人生でやりたいことを挙げる

投稿日:2022年11月1日 更新日:

仕事が落ち着いて(いや全然終わってないけど!)本日も早退

夕方に病院に到着すると、伯母が母の隣に座っていた。午後に来て、ぼちぼち帰ろうとしたのだけど「お姉さんずっといてね」と言われたのだった

そう言われると帰れない。しかし伯母さんももう70歳。椅子に何時間も腰掛けるのはけっこう大変だ

そのくせ本人には時間の概念がないので、ずっと居たという実感もない。

しばらく談笑したあとに、じゃあと切り上げてもらった。娘が来たからねーまた明日ね~

さて珍しいこの発言はやはり不安からだろう、と看護師さんも言っていた。私もそう思う。あれだけ邪険に扱っていたおばちゃんに、今度は不安で甘えているのだ

伯母からすればかわいい妹であるが、この先どうなるか(長丁場になって体をこわしても)わからないので

徹夜とか無理しないで過ごそう、となった。24時間居られるのなら、当然泊まれるだろうとまた母の勝手な妄想で断言したようだが

この施設にそのような場はない。簡易ベッドのようなものもない

わたしも明日は早朝から勤務なので、夜には帰るとして、「不安な気持ち」をどうやって薄めて夜を迎えられるか考えてみた

まぁ無理よね。そりゃ死はこわい。そして本人も危篤だと思っているらしい。(安定してますけど)

やれることとしては、できる限りそばにいて、目が覚めたときには応えるくらいだ

夕飯をサクッと外で済まし、再び病室に戻ると爆睡していた。一応戻ったよーと声をかけるもよく寝てる。

このまま帰るのもあれなので、20時半まで様子を見て帰るとする

お見舞いに行くメンバーはみんな仕事があるので、行ける人が行けるときにが合言葉である。

わたしの職場は「今は行ってあげて」と言ってくれるが

母が亡くなったらそれこそしばらく休むだろう。今もメンタルが万全とはいえないが、その後まともに仕事をこなせるのだろうか

大人になったらもっとうまくやれるとおもっていたけれど

こういうときはどうやってみんな乗り越えていくのだろう。

わたしは母の死と向き合う時間がたっぷりとあった。二度目の危篤でも多少動揺するのに

突然こんなことにみまわれたら、自分を取り戻すのに時間を要するだろうな。

そんなことを、思う余地もなかった。当たり前に明日は来るものだと思っていた

夫や、息子たちや姉妹や義父母たちも今は元気だけどそういう日がいずれ来るんだということが、今回のことで当たり前だけど実感した

わたしは、わりと私自身のためにやりたいことをやってきた人生ではあったけども

「もっと自分の人生を生きればよかった」

そう母は思ってないだろうか?

いやー好き放題発言して、職場も楽しくテニス三昧だった彼女であるが。子育てにその人生の大半を費やしていた。

人のためじゃなく

やりたいことを自分が「やらないで後悔することのないように」やり尽くそうとわたしは思ったのだった

どんどんリストにしていこう

  • アメリカに住む

これは夫の夢であるけど、もはや私の夢でもある。新しいことをするワクワクと、そのために英語を今以上に頑張る目標ができた。

  • 仕事は好きなことだけをやる!

今の仕事は自分にとっては天職だと思ってるし楽しいけど、5年後はいったん辞める。5年後アメリカでもし働くなら、ほかの「好きな事」を仕事にしたい。

具体的には絵とか文章をかく人!

  • 絵描きになって個展を開きたい!

ブログのトップ画みたいなペン画のマニアックな画風(自分では病んでるノートと呼んでいる)

これをかきためていずれ個展をひらくぞ!

あとせっかくアメリカとか海外に行くならやってみたいことの1つが、ストリートで絵を描くパフォーマンスとかね。

もっと明るい画風のほうがウケそうだなー。

  • 小説家になる

これは大学のときから言ってるけど、とにかく文章で食ってく人になりたい!

ただねージャンルがみつからない。ミステリーを書くには発想が凡庸だし、純文学を書くほど語彙もない。

となるとやはりエッセイか…。ブログを書きためて書籍化を狙おう。

  • 世界のうまいものや文化を食べ尽くす、知り尽くす

自分の好きなことをしてお金が入ってくれば、好きなことに使おう。やはりわが家は食べること。

自分たちで食べたいものを手作りしたり、一緒に楽しむ時間を1番にしたい。

見てふれて楽しい時間を子どもたちと一緒に過ごせるのは実は短いんだなぁ。アメリカで働くのも1つだけど、いろんな発見を子どもたちとしたい!

  • ブログは一生続けて世界中の人とつながりたい!

今は日本の中でもがいているわたしだけど、日本の中にいたっていろんな出会いがあった。

インド人、タイ人、ミャンマー人のママ友、職場のアメリカ人。外国の方だけでなく、興味を持って世の中を見渡せば、面白い出会いに日々遭遇する。

日本と違う文化のなかではもっと面白いことがおこるのでは?と思ってしまう。英語勉強して世界に向けて発信するぞー

とまぁ妄想爆発、やりたいことをやり尽くすには時間が足りない。

こうなると先立つものはお金だけども、それに関しては今着々と準備中である。

それにしたってこういうことを考えるようになったのは母の存在である

いつもいろいろ考えさせられるよ



-くらし, 母のがん

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