母のがん

職場の先輩ママさんの優しい気持ちに感謝

投稿日:2022年6月16日 更新日:

仕事が始まってかれこれ3ヶ月が経とうとしている。忙しい…忙しいんだよ。言いたくないけど、やっぱり家でのほほんとぴーすけと過ごしていた頃に比べると、チャキチャキ仕事をしている。

一方で好きな仕事&子どもたちとべったりから解放されて?少し自分を取り戻せたところもある。ただ、前のようにバリバリ(非効率に)仕事ばかりは出来ない。

そりゃ夫が家で子育てと家事をしてくれているとはいえ、毎日帰宅が21時というわけにはいかない。ゆえに作業効率が爆上がりである。前にどんだけダラダラやっとたんじゃい、ってくらい手が早い。

それはね、もしかしたらこの10年の成果なのかもしれないし、こどもが原動力なのかもしれない。わたくしも三十代半ばになりましたが、まだまだ成長の余地があると思うと人間死ぬまで進化し続けるのね、と実感する。

さて、前置きは置いといて。

そんな我が職場、うちよりちょっと大きなお子さんがいるママ先輩がいる。この方も職場復帰して数年なので、自然と会話は子育て話に。

かなりアクティブな方で、休日はどこにお出かけに行ってここはよかったよ、などの情報を教えてくれる。ついでにお菓子もくれる。そうやってちょっとずつ仲良くなって行ったのだけど、先日一緒に残業している時に、ふと母の話題になった。

実は市民病院の緩和ケア病棟から最近ホスピスに転院になった。

これはもう長らく市民病院側には言われていたし、私たちも覚悟はしていた。「市民病院」という性質上、どんどん新しい患者さんを受け入れなければならない。

うちの母は幸いにも危篤の状態から脱して、安定していた。なんせ、余命1ヶ月くらいと言われてから3ヶ月は経っている。

だから、緩和ケア病棟は1ヶ月を目処に退院の打診をするのだ。元気であれば退院、体調が芳しくなければ延長。ちょうどその時に熱が出て延長になっていたが、それまた回復し退院の運びとなった。

母は妹のいる一人暮らしの家に帰りたいと言った。

それは、妹の家での24時間介護を意味する。

そりゃね、気持ちはわかるよ。だけど妹だって仕事をしている。しかもこの一年、妹はいろんな採用試験を蹴って(まぁそんな本気じゃなかったかもだけど)

自分の進路はほっといて母の看護に明け暮れたのだ。そうさせてしまった自分に後悔があったし、何より一年前より状況が変わっている。癌の末期ということだけでなく、心筋梗塞と腸閉塞さらに痛みも増している。

そんな状態の母を、妹が24時間介護。私は土日しか行けない。

物理的にも精神的にも無理、ということでホスピスを提案したのだった。

母は首を縦に振らず。

すったもんだしている間に熱が出て、退院が延びたと思ったら、市民病院のサポートセンターでいつもお世話になっている看護師さんたちが話をしてくれて、一旦ホスピスに出て、また戻るという選択肢を示してくれたのだった。

この間も私の心は揺れ動いていた。そりゃ、死に際にいる母の最後の願いを聞いてあげたい気持ちはある。

妹のところに行きたい、我が家に来たい。娘のそばで過ごした方が気が楽だし楽しいだろう。でも私たちにも生活がある。母はそれを全て自分のために時間を捧げるように言ってくる。それは昔からそう。

なんでも自分中心で、相手の都合など後回し。大人になってからは流石に言い返してみたり無視したりもしたけど、その後は恐怖の「長文メール」がやってくる。

やだなぁ、と思いながらも親子の縁は切れるわけもなく。ぴっぴが生まれて孫がクッションになって適度に母と関わるようにはなっていた。

妹は私たちが家を出てからはモロ過干渉にされていたが、歳が離れていた分可愛がられていたのでそんなにひどいことはなかったと思う。が、私なら一年も彼女のそばで世話をするのは耐えられなかったと思う。妹は本当にえらい。

今回、転院の話が出て、妹の家に行かせるくらいなら我が家が責任を持って引き取るか、と思い悩んだ。ただ、母が涙を流した時思い出したのが「あんたの涙は安い涙だね」という母の言葉であった。

結構感情的になってしまう私は、母に言い返そうとすると感情が込み上げて涙が出てしまった。すると母は決まって「あんたはすぐ泣く」「あんたの涙は安いね」と言われたのだった。

癌で、行くところがなく、ホスピスなんか行きたくないという母を前に「かわいそう」と思う自分と、散々きつい言葉で傷つけられ、都合のいい時だけ頼られてきた過去が思い出される。

2週間だけ自宅で介護すれば、また市民病院に戻れるという主旨の話を聞いて、うちで、と考えたけど、それを実行に移そうとすると頭痛と吐き気が出た。

うん

無理!

何度も市民病院の看護師さんと話を重ねた。この一年ずっと相談に乗ってくれている。介護休暇は取れると思う、だけどこんな状態じゃうちで見てても「なんかやってしまいそう…」てなくらいに追い詰められていた。

看護師さんは言った。「今まで関係が良くても自宅での介護は大変。そうじゃないならなおさらうまく行くかはわからない。お母さんにもホスピスの方向で話をしてみます」

どれだけ救われたか

自宅で見る、看取るのが親孝行と言われりゃそうなんだけど、私には3月末の2週間もキツかった。これが永遠に続くと思うと、愛なんかどっかにいってしまう。

そうして、ホスピスに行くことになったのだった。

さて、話は戻って

先ほどの仲良くなったママさん。ふとした拍子に母の状況をチラッと話すことがあったのだった。すると、彼女のお父さんもまた癌で亡くなっていたのだという。

「胃がんだったんだけどね、食べることはできたんだよ。亡くなるその日まで食べてたししゃべっていたから。死ぬ時ってさ、もっと弱っていって段々しゃべれなくなって昏睡状態になると思ってたんだよ」

と教えてくれた。

うちの母も元気だ。このままだと永遠に点滴で生きてそうだ。

だけどね、人はいつか死ぬんだ、そしてそれが「今日」かもしれないんだ。

毎週土日の午後、夫に子どもを預けて市民病院のようにホスピスにも行っている。そこで過ごす時間が尊いのはわかっているけど「ああ、死んでしまうんだ」と思い知らされて辛い。それでも、ママ先輩の言っていたように当日まで元気だったのにって思うこともあるかもしれない

その話を聞いて、やれること、やりたいと思うことは後悔のないようにやろうと思った。

幸い、母は穏やかで、昔のキツイ性格は封印された。あんまり恨めしく思うこともない。

ただ横にいて、ぴっぴやぴーすけの成長や、仕事での失敗談なんかを話して時が過ぎる。一回ぴっぴとぴーすけ&夫も来られた

先輩ママのおかげでちょっと穏やかな気持ちになったのがありがたかった。

そんでもって先日、フラッとママ先輩が来て「この業務手伝ってあげるから、今日は早く上がってお見舞いにでも行っといで」と言ってくれたのだった。

先輩が手伝ってくれてあっという間に終わった仕事。その日は早く上がっても大丈夫、な日だったのでお言葉に甘えて早上がりし、雨の中ホスピスに向かったのだった。

平日は妹が仕事の帰りに寄ってくれていたが、転院によって私の職場は遠くなっていたので平日に行くなど不可能であったが、ふらりと訪れた私をみて母もびっくり&喜んでいた

自分が顔を見せるだけで喜ぶ人がいるんだな、と思う。そしてそれをさせてくれたママさんには感謝である。

ママさんからもらったこの優しい気持ちが続くといいなぁ



-母のがん

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