時短勤務が終わろうとしている。
これは、わたしの人生の中で「時短勤務」という選択肢がなかった時が信じられないくらい、もはや時短勤務に体が慣れていて、終わることそのものが恐怖だ。
最初は育休後、フルタイム復帰した。しかし、そこにはいくつかのイレギュラーがあった。
まず、母のがん。これは、恥ずかしながら職場復帰後はおんぶに抱っこで実母に頼りまくろうと思っていたわたしからすると青天の霹靂であった。(母ともお小遣いを渡すことで合意に至っていたから
ましてやあっという間に亡くなるとは。この、余命いくばくかの母の介護と職場復帰が重なったのだった
それはこのブログにも、自分の感情の整理と共に時系列が載っていて、改めてよく乗り切ったなぁと思う。
それを支えてくれたのが夫だ。わたしの職場復帰に合わせて、自分が1年の育休を取得。
これも一般的にはイレギュラーだろう
育児と家事を一挙に引き受けて、バックアップ。仕事と母に没頭することができた。母の介護は仕事をしているという言い訳がなければ、まともに向き合えなかったと今なら思う。ある程度の「仕方がない」がわたしには必要であった。
また、三姉妹の仲が良いのも幸いした。当時、みんなそれぞれのモラトリアム期にあって、時間的な余裕があったのと、母という存在を前に一致団結できたのがでかい。あの時、誰かに負担が偏っていたら、今こんなふうにお茶はできないであろう。
そういうわけで、いろんな偶然が重なって、今を生かされているのである。そこには、控えめながらも支援の手を差し伸べ続けてくれた義両親の存在もある。
そんなことを、今しみじみと振り返っている。小さなことなどどうでもいいじゃないか。前回の記事で心配した方えらいすんまへん。まぁ誰も見てないブログなんだけども(何があった、ってわけじゃないしね?!)
そう言うわけで、今割と穏やかに日々を振り返っている。色々感謝の念が出てくると、穏やかな気持ちになるもんだ。
そうそう、子どもたちもよく頑張った。なんというか、自分で言うのもアレだけど、まっすぐないい子に育ってくれていると思う。
こんな感情の起伏が激しい母を持って、さぞデンジャラスな毎日を送っているなぁと思うけれど、わたしが介護や仕事にあっちこっち行っている時も、夫が穏やかに子どもを見ててくれたからこそである。
さて、わたしが時短勤務をとることにしたのは、夫の献身に応えるためである。そもそも何かもらったらお返ししないと気が済まないタチである。
夫が、1年という時間を家事育児に費やし、その後もキャリアについて愚痴一つ言わずに働いている姿を見ると、今年一年は夫の正念場だから家のパワーバランスを取るために時短を選択した今を後悔はしていない。
だけどもね、お金が大好きなんだよ、わたしは。
この1年間で、収入が半分だったのよ…
でも、生活費の分担は変わらないから、わたしの給料はほとんど全て生活費に消えた…
大好きな投資が、ほとんどできず、それなのに家事の負担は増え、と。望んで始めたとはいえ、結構きつかった。と言っても夫がローンを払ってくれているのだから、負担の額は一緒なんだけど、このお金がなくてしんどい感じ。育休の時みたいだ。
誰が悪いわけでもない。普通にフルタイム復帰すりゃいい話。
一方で、時短勤務をして、子どもと余裕を持って過ごせる日々の楽しさも思い出してしまった。育休中の、なんか子どもと一緒に遊んでたら一日終わっちゃったっていうアレ。
あの頃は、ちっとも効率的じゃなくて、生産的じゃなくて、焦るばかりだったけど。(本も読みたいのに読めないし、寝落ちしちゃうし、勉強もできやしない)
今は、このボーッとする時間が贅沢なんだと知る。というか、あくせく働きすぎじゃない?わたし
そんなわけで、あと1年、本当は時短勤務ができるんだけど、ちょっと悩んで揺れている。フルで復帰して、お金のことで頭を悩ませない選択をするか。あと1年くらい、ちょっと時間を調整する働き方をするか。
相変わらず起業したい熱は時々フッと湧き出てきて、調べ魔になってる。なんならこの前はついに関内にあるそういう相談所に出向いてしまった。
ただ、創業したって忙しいのに変わりはないわけで。だったら今の職場でいかに早く帰るかに心血注いだほうが得策な気もするんだよね。稼ぎたいわけじゃないけど、稼がないとやっていけない資本主義の大きな流れの中で生きているんですもの。
何だかこのやりとり、もう5年くらいやってる。そうね、ずっと考えてるw
世の中のお母さんたちは、どうやって折り合いをつけているんだろうか。しのごの言わず働けってことかな。
厄介なのは、仕事も仕事で楽しいってことよ。
家にずっといるのは性格的に無理だと思うw
さて、何から始めようか。