来年の小学校入学に向けて。キッズに入れようか学童に入れようか迷っている。
値段で言ったらキッズ(小学校でそのまま預かってもらうやーつ)
しかし、教室に児童がパンパンと聞いて「やめた方がいいよ」なんてアドバイスされている
一方で学童というのはそこかしこにありまして、値段もピンキリ。
いくつか見ていかないといけないね、と話していた。
放課後というと、わたしたちの時代はランドセルを玄関に放り投げて遊びに行ってたわけで
今どきは一人でお留守番、というわけにはいかず
保育園に代わる預け先をさがしているのだ。
どうせ預かってもらうのなら、と付加価値を求めて預かりに加えていろんな習い事をオプションで付け加える人も多いという。
我が家は、「溺れた時に死んだら困るから」という理由でスイミングを習っている。
私自身が泳げなかったので、教えることもできないし
スイミングやっている子って足速いイメージがあって、基礎体力つけるのにもいいなぁと思っていた。
それは漠然と続けるにして
ここにきて、キッズ・学童・そして習い事どうするの問題も勃発中である。
はーん、習い事…。
正直ねぇ、そんないくつも習い事をするほどの余裕もないのですけれど
早いうちに自分の得意なことを見つけて続けられたらいいなぁと思うこともあるのです
かくいう私も年中の頃からピアノを始めて、これがなかなか役だったなぁと思うわけで
できたらぴっぴやぴーすけにもピアノは習わせたい。
しかしまぁぴっぴはスイミングをやっているし、ぴーすけはスイミング離脱したし
「スイミングやめたからピアノ始めてみる?」とぴーすけに聞いてみたら全力で嫌がってたし
無理強いするのもねぇ…。
てか、小学生忙しくね?!もっとダラダラと過ごしていんでない?
思い返せば、我が家は勉強らしい勉強をさせてこなかったな、と。
そのときどき、興味をもったものに付き合うイメージ。あとはほとんどテレビのお世話になってますけども
それでもなんとなく賢い感じなんだけどなーぴっぴ。
我が家は習い事やお勉強にはそんなに頓着してこなかったけど、人的資源を全投入してきた感がある。
ぴっぴが生まれたときは、私の母も生きてたし、姉もよく来てくれたし、義両親もたくさん愛情を注いでくれた
何より夫婦で育休を取ることで、一人分の年収を費やして子どもとの時間を確保したのだ
そのぶん会話は増えただろうし、夫婦一緒に出かけることで余裕が生まれただろうし、母親の精神的負担は軽減した
翌年は私が継続して育休をとって、ぴーすけ(第二子)誕生。結局ぴっぴは保育園には通うものの、家には誰かしらいる状態が継続する
さらに翌年、私が仕事復帰した年にはパパが育休。
またも1馬力でママが踏ん張る中、ぴーすけはパパにいろんなところに連れて行ってもらっている(2人で浅草とか行ってたなw)
ぴっぴもパパが安定して時短送迎。本当に恵まれた子どもだよな!と思う。(パパ穏やかだし)
そりゃ幼稚園組に比べれば、保育園は「学校」ではないので、学習はしていないけど
子どもは小さい時は子どもらしく遊んどりゃーいいじゃないか、という方針の我が家です
ここにきて、我が夫婦にも教育方針の対立が起こるかしらとちょっと思ってたりする(ワクワク)
くだんの学童に関しても
お育ちのいいうちの夫と、インド的混沌の方が強くなるんじゃね?という私ではきっと考え方はまるっと違うだろう
ただまぁ、どんな状況にせよ子どもが「ここがいい」と言うならば、その選択を優先するだろうなというのは信じているところである
ぴっぴ繊細だからなぁ…ここは嫌だ!っていうのは言いそう。親に忖度する一面もあるけども。
そしてこんなに悩むのは彼が第一子ゆえである。
きっと、ぴーすけ(第二子)の時は悩むこともなく踏襲するだろうし、きっと「この子のためになるだろうか」という真剣な悩みとして話題にすら上がらないと思う。(なんやかんやぴーすけは強いし)
そういう意味で、親の注目や期待を一身に背負う長男長女というのがいかに大変か、というのを思い知らされるのであった(私は気ままな次女〜)
ただね。子どものやる気とか生きる上で大事な原動力というのは、やっぱり親と一緒にいる安心感がベースになっているのは言うまでもない。
あとはドーンと親が構えて、不安を与えないようにするのが結果1番なんだろうな。なるようになるし
そんな矢先ではあるけれど
最近余裕もなく、元々声のトーンも低い私。
あんまり怒られても効かない次男に対して、淡々と低いトーンで怒ってたら
次男ぴーすけが大号泣したのだった
「ママ!怒らないでー!怒ると可愛くないからー!!」
と、泣きながら訴えるのだ。
思わず大爆笑である。そうね、怒ってる私はきっと可愛くないだろうな。
しかしまぁいけないことをした時には可愛かろうが可愛くなかろうが怒るし
「ママは怒っても可愛いよ!」と言い返しといた。
賢い子には育ってほしいけど、言っても自分と夫の子である。
そんな天才児が爆誕するとは思ってないけど、こういう言葉選びのセンスは会話で磨いていきたいわね。