この夏、ミャンマー人のママ友にお菓子をもらった
実はミャンマー、お菓子大国で。いろんなお菓子があるようなのだけど
「大阪でお菓子を販売している友達のところから、お菓子を送ったからね!」と連絡があり
ありがたく頂戴したのだった
ちょうど、遠方よりやってきたお客様がたくさん来てて
早速、ミャンマーのお菓子とミャンマーの状況を合わせて語ったのだった
ミャンマー。
思いつくのは、東南アジアの小さな国。アウン・サン・スーチーさんが長らく軟禁状態である、というニュースを
子どもの頃からなんとなく見ていて
「軟禁って何よ、家から出られないってどういう?」
と、幼心に思ったのでした
ざっくり調べると、ミャンマーは昔は「ビルマ」と呼ばれていて、お年を召した方は「ビルマの竪琴」という話が有名。戦争中の悲しい話なのだけど、その当時のことをよく表している
現在、国土は68万㎢(日本の1.8倍)、人口は日本の半分くらい。
近いようで遠いミャンマーでは2年半前に起こったクーデターが今も国内の治安を悪化させているという
私がミャンマー人のママ友と、こっころでご夫婦で出会ったのも2021年くらいだから
てっきり国内が不安定で移住してきたのかと思いきや
大学を留学して日本で就職し、もう10年以上日本に住んでいるという
2011年の震災も日本で経験したのだ
旦那さんはほとんど日本語はしゃべれなかったり大変なこともあるだろうけれど
やはり軍との衝突で、いつ何が起こるかわからないミャンマーで過ごすよりもよっぽど日本は安全だろう
彼女とは歳が一緒なので、いろんなことが「あのときは何歳だった」が共有される
我が家もまぁまぁの苦労をした家ではあったけど
彼女のそれに比べれば、全然大したことではないのだろうなと思う
10年以上前に日本に移住して来ているとはいうものの、ここ数年の状況をみて家族を心配し
それでもミャンマーに帰ることもできず、家族を呼ぶこともできない
今はウクライナとロシアの状況が緊迫しているので、ミャンマーのことはあまりニュースにならないから
もう、クーデターや争いはなくなったものと思っている人も多いし、記憶からは薄れがちだけど
今も日々、命を脅かされていたり、教育を満足に受けられない若者がたくさんいると思うと
なんともやるせない気持ちになるのだ
ちなみに、この国軍のクーデターでの死者は3,000人を超え、2万人が拘束されている
民主化を訴えたアウン・サン・スーチーさんは半生を自宅軟禁されたり解放されたりの繰り返しだ
日本とあまりに違うこの状況を、国の中から変えるというのはとても大変なことだと思う
私ができることは、というとこの誰もみていないブログではありますが
こういう状況を1人でも多くの人に知ってもらうこと
人権を守るために活動している人に、少しでも力になれることを探すことだろうか
募金がわりに寄付をしようと思ったら、2つ買うと割引とかで大丈夫かな、と思った次第
ダルマの絵がミャンマーでは大切にされている(仏教の国だからね)
フツーにかわいい。
個人的には、もっと日本は難民を受けれたらいいのに、と思う。
この閉鎖的な島国では、よその国から人を受け入れるのがハードルが高いようだが
日本の文化の良さは、海外の人の方がリスペクトしてくれているように思うのだよ。
税金も払ってくれているのだから、安心安全に暮らしたいというささやかな願いをもっと多くの人が共有できたらいいのにな
私の知っているミャンマー人の彼女は、とても優しくてチャーミング
同じ歳ということもあって、子育てのことや仕事のことで話があう
もし、このブログを見てね
ちょっとでも興味を持ったり、何かできるこがないかしらと思う方がいたならば
こっちのサイトに飛んでみてくだされ→ コネクト
というか、このミャンマーのダルマを日本にいるミャンマー人が見たらきっと嬉しいんだと思うのよね
ミャンマーのお菓子は、タピオカやらココナッツミルクやら
いかにも東南アジアの料理なので私は好きなのだけど、好みが分かれそう
お菓子はハードルが高いけど
終戦記念日にまだ終わらぬ争いを憂う、夏