ハイテンションな1日目、なかなか寝付けなかった母。次の日から、ルーティーンがなんとなくできていく。
まず、朝9時にヘルパーさんが来て体を拭いてくれたりオムツを替えてくれたり、話し相手をしてくれたり。腎ろうや尿路ストマのおしっこを捨ててくれたり、胃管の中身を捨ててくれたり本当にありがたい。
どこからどこまでが医療行為なのかわからないので、その都度これは頼んで大丈夫かな?という感じ。トイレに一緒に行ってオムツを自分でかえられた母はこの二日でそれもしんどくなってきて、ベッドで替えてもらっている。
10時には訪問看護師さん。体温、血圧、胸の音を聞いたり、体調を本人に聞いてお腹を見たりストマを見たり、「胃管をひく」という作業もしてくれる。これは鼻から入っている管がそのまま胃につながっているのだけど、鼻から外に伸びている管から胃の内容物を注射器で引くのだ。そうすると、吐き気がちょっと治るらしい。
これはやり方を教わってマスターした。朝、昼、夕、と定期的に引く以外に気持ち悪くなりそうな時にやると嘔吐を防げるらしい。嘔吐して苦しい思いをするくらいならいくらでもやろう。ちなみに点滴の交換もできるようになった。これは楽勝。
昼ごはんは妹や息子たちと何か作るが、その前にぴーすけを外に連れて行かないとイヤイヤ期のイライラがひどい。ヘルパーさんや看護師さんがきてくれている間、15分ほど外で遊ばせたりしている。
昼を食べると、ぴーすけは昼寝。ぴっぴは保育園がない時は一緒に昼寝をしてくれる4歳児。ほっと一息つける時である。母は基本ベッドのある部屋にいる予定だったが、それだと暖房ももったいないし、何より人の気配を感じていたいのでリビングのソファーを占領している。
夫がいる日は気が引けるようだが、こっちも様子を見にいくよりなんとなーく居る方がまぁ安心である。ぴーすけがちょっかいを出しては、ニヤッと笑って触れ合ってくるのが嬉しいようだ。母の顔をペチペチ叩いている。「エネルギーを吸い取ってるなぁ」と母は呟いていた。赤子からエネルギーをもらっているのだ。
その点ぴっぴは慎重で、いろんな管に繋がれ、すっかり痩せてしまったばあばに距離をとっていた。
しかし本質は優しいので、「ばあばは鼻から何か入っていて大変なんだよね」とか、点滴のポンプのアラームが鳴ると1番に「大変!ママ助けて!!」と私を呼びにくるのだった。ある日は夫に向かって「パパ、ばあばのこと守ってあげてね」と話していた。
母もぴっぴが「わかっていること」を理解していて、ぴっぴらしい優しさと、ぴーすけの図々しいスキンシップに癒されているようであった。
私も福祉学科の端くれなので、スキンシップが最期の時期に言葉以上に意味を持つことはわかっている。1度目の大手術の時も足のマッサージをしたけど、その時よりもずっと痩せた足をマッサージする。あの時はなんとか歩けるように願いを込めたけど、今は歩けることよりも少しでも痛みを忘れることを願うばかりだ。
そして夕方にまたヘルパーさんがやってきてトイレに付き合ってくれたり、着替えをしながら体を拭いてくれたり、今は出来ているけれどガッと悪くなった時のためにルーティーンにしてくれている。
看護師さんも1日2回だったり、慣れてくると1回だったりという感じである。夕方は大丈夫ですよ、なんて言ったのに点滴のカフティーポンプのアラームが鳴り止まず呼んでしまったり、やはり看護師さんに頼るところは大きい。
そして常々思うのが今回関わってくれるクリニックの看護師さんや訪問してくれるヘルパーの方々の人柄である。30分から長くて1時間の間であるが、他愛もない話に付き合ってくれ、母を褒めてくれ、嫌な顔ひとつせずおむつを替えてくれ、体を拭いてくれ、体調を支えてくれる。
ありがたい。これだけ手厚いと、子どもが居てもキーッとならずにいられる。(家はひっちゃかめっちゃかだけど)
母が今回の退院で楽しみにしていたご飯に集中できるというか、普段の生活に時間を割ける。
1日目は昼のカレーを一口なめ、夕飯はロールキャベツのコンソメスープをちょっと飲み
2日目は昼のラーメンのスープをちょっと飲み、夕飯の唐揚げの匂いをちょっとかぎ
3日目は飲むヨーグルトをちょっと飲み
3日目は夫が夕飯を作ってくれた!大げさだけどこの1年間で夕飯を作ったことがあるのは片手ぐらいしかない。母の前でそういう風に頑張る姿を見せてくれるのは嬉しく、楽しい夕飯になった。食欲はないので口にはしなかったが、みんなが食べている隣でソファーに寝転び食べてる姿を見るだけで幸せなのだという。
それからバタバタと子どもたちが入浴し、歯を磨いて読み聞かせして寝床に着くまで、妹が母のところで話し相手をして、歯を磨かせて帰宅する。今日は私が寝かしつけから復活して、足をマッサージしながらいろんな昔話をした。
正直、初日は腹を括ったとはいえ、母に対する「怒り」のようなものがあった。これまでの経緯とか、自分の復帰とか、いろんなことが重なった上で家に迎え入れることにしたのだけど、心の中ではいろんな「なんで」があったのだと思う。
頭はまだまだシャッキリしているので、思い出話をするたびに私は突っかかっていった。あの時はこうだった、こうして欲しかった、こうすればよかったのに、と責めるような言い方をしてしまった。母も昔から「私は悪くない」スタンスの人なのでどうせ言ってもわかってはもらえないのだけど、がんの末期で言うべきではないのかもしれないけど思いの丈をぶつけていた。
本当に長い時間一緒にいて、いろんな話をした。そしていろんな話をするたびに許せている自分がいることに気づく。責めてもしょうがないし、いじめているようだとも思うけど、自分の思いを出すことで自分から毒が抜けていく感じがするし、母が「もっとこうすればよかった」と自分を語り始めて思いを受け止めて、を繰り返して心から寄り添えるようになってきた。
言い負かそうというより「わかって欲しかった」という私自身が子どもの自分に返っているのがわかった。
母親なんだからこうあってほしいという理想がとても強くあったけど(そしてことごとく逆をいく母)
私はもう自分自身がいい歳した母親になったのに、いつまでこんな子どもじみたことをしているんだろう、と思った。この歳になっても「お母さん」に自分を充してもらおうとしているんだなぁ、いつまで経っても子どものままの自分に気づく。
親だったら子どもを愛するのは当たり前かもしれないけれど、その当たり前の愛をもらって(理想の形とは違ったけど)今の自分があるのだ
「帰ってこれてよかった、幸せすぎて涙が出る。病院じゃ泣かなかったのに。先週できていたことがもうできなくなっているの。迷惑かけてごめんね」
そう言って涙を流す母に意地悪する気持ちや怒りはもうなくなってしまっていた。