英語は喋れた方がいいに決まっている。そりゃそうだけど、日本に住んでたら使うことがほとんどない。だけど、私は定期的に英語を使わなければならない時がある。それがモニカからのメールだ。
モニカは同じ団地の同じフロアに住んでいたインド人である。
ぴっぴが1歳半の時、たまたま団地の下の遊具で遊ばせていたら、そこにいたのがモニカであった。
基本目が合えばお友達の私は、相手が何人だろうと関係ないのだ。多分同い歳くらいの子ども。話しかけると、人懐っこい笑顔で答えてくれた。「英語で」
言っておくが私の英語力など、ルー大柴程度である。
薮からスティックなんて言わないけど、せいぜい中学生の文法がいいところ。大学まで出させてもらったのに、どこかに置いてきたボキャブラリー。
でも、人間情熱があればなんとかなるもので、「話したい」という気持ちがあれば勉強はおのずとするのである。
我が家は夫が英語がらみの仕事ゆえに、最初はモニカとの会話は夫が一枚絡んでいた。ラインを交換し、矢継ぎ早にくるメッセージに既読をつけつつ、夫が帰ってくるのを待って「これ、どゆいみ?!」と聞いていた。
自分でも調べてみたよ。グーグル先生で。でもね、スラング?っていうの、GNとか、Plzとか謎の略語が目立つのさ。
最初は、夫とともにナゾナゾを解いているようであった。
しかし、今日の1日の会話の流れでこんなこと話したなーとか、子どものことでこんなこと言ってたなぁと思い返すと「good nightか!」と私の方が早く解けることもあった。
基礎的な文法は体に染み付いている。
中学、高校、大学と8年も英語を勉強したのだ。でも難しい単語は使わない。言い回しも使わない。
あとは目を見て、分からない時はケータイで調べる。
そんなやり方でやっていると、インド人の超早い英語もゆっくり聞けばわかるようになってきたし、基本的にモニカが超いい人なので(しかも同い年だった)自然とよく喋るようになった。
何というか、日本人よりも日本人らしいというか。気遣いの人。
表情を読み取って励ましてくれたり、心配事はすぐ顔に出るから可愛い人なのだ。なんと言っても息子が繊細なのでよく泣き、悩みを抱えていた。
ぴっぴとは全く違うタイプだったけど、悩みを抱える母親同士と言う意味では、1番相談しやすかった。
しかも同じフロア。スープの冷めない距離で、よくインド料理を振る舞ってくれた。
アタという粉で作ったチャパティとか、じゃがいもが入ったパラタ、もちろんカレーやビリヤニなど。私もバーモンドカレーを「ジャパニーズカレー」として振る舞ったが、これが彼女の息子に大ウケでよく食べていた。
私の性格なのだけど、仲良くなった人にはトコトン家族ぐるみで仲良くなってしまう。
子どもは預かっちゃうし、困っていることがあれば助けたいと思うし、何より「インドからきて右も左もわからんのに、子育て大変やん!」という気持ちがお節介モードに火をつけてしまう。
きっと将来詐欺にあってツボなど買わされてしまうのだろうが、人の役に立てるのは相手のためであり、自分も嬉しいのだ。もっというと、ついでに英語まで喋れるようになってるからなー
結局、コナミの水泳も一緒に始めたし(その後すぐイオンが閉店したけど)夫も交えて一緒に江ノ島へ観光にも行ったし、前にも書いたけど野毛山動物園にベビーカーで乗り込んだりもした。
彼女のお姑さんが日本にやってきて、しかも狭い団地に泊まると聞いてはありえねーと愚痴を聞いたし、健診で問題があると言われれば一緒に役所に話を聞きに行った。
ぴっぴがお友達に手を出してしまう時期があった時は、みんなそういうものだよ、と離れずに子どもを一緒に遊ばせてくれていた。
気の合う友達は、何も国籍など関係ないのだなと思った矢先。コロナで世の中が変わり始める。
旦那さんの仕事がひと段落したのもあって、インドに帰ることになったのだった。
別れの挨拶の時は、2人して大号泣し、インドに戻ってからもお互いの子どもの写真や、時々メッセージなどやりとりをしていた。
が、ぴーすけが生まれてなんだかんだ英語で返すのが億劫になってしまった。
時差があって、「もうちょっとしたら返そう」から、「あー単語調べなきゃ」となり返しそびれたまま時がたってしまったり。そもそもインドのコロナの状況が酷かったので、心配しながらも聞くに聞けない状況でもあった。
そんな中、彼女の旦那さんが今度はオランダへ仕事の都合で移動。彼女も1年後オランダへと移住した。
そこへ母のがんが発覚。少し疎遠になっていて、言うべきか悩んだけど、モニカはうちの母と一緒にピザを食べた仲で時々
「how are you ? and your mom? 」と聞かれていたのだ。
ある時までは元気だよーと返していたけれど、いずれどこかで言うのかなと思って、また英語で文章を書くことをスタートしたのだった。
「抗がん剤治療」とか「毛が抜けちゃう」とか英語の授業で習うはずのない単語を駆使し、近況を伝えると、心配するメールが返ってきた。
モニカが知ってるうちのかーちゃんは、インド人で日本語が分からないって言ってるのに「そうなんだー、これ食べる?」と永遠日本語で話しかける、図々しい恰幅のいいおばちゃんだったのだ。
あの頃の元気はないにしても、まだ床に瀕しているわけじゃない。なんとかやっているよ
She is getting by. 彼女はなんとかやってるよ
これまた今まで使ったことのない表現である。
グーグル先生が教えてくれたのだった。顔を見てない今、メールでのやりとりがどれくらい彼女にニュアンスとして伝わってるか分からない。
でも、自分もまた異国の地で、このコロナ禍の中、親兄弟と離れながら家族の心配をしつつ、気遣ってくれるモニカ。知らせなくてもよかったかなぁと思いつつどこかで聞いて欲しい気持ちもあったのかもしれない。
旦那さんの仕事の話が出た時は「コロナが落ち着いたら、しばらくオランダに住むから遊びにきてね」と言われていた。
でもそれは無理かもしれない。
行きたい気持ちは山々で、そのためにお金を貯めよう!なんて話していたから。
この終わりの見えないコロナの日々と、2人の子育てと、職場復帰への不安と、母のがんと。なーんかやってらんねーわい。
もしかしたら、コロナも何もない、楽しかった頃の思い出をたくさん持っているモニカと今思いっきり言葉の壁を超えて話がしたいのだと感じた。
ぴっぴ、君は忘れてしまっているだろうがモニカは本当に君をよく可愛がってくれていたんだよ。
短い時間だったけど、とても濃い時間を過ごしたんだよ。
きっと彼女のことだから、オランダでもあのコミュニケーション能力の高さでお友達をたくさん作っているだろう。
でもきっと人知れず文化の違いや、コロナの大変さや不安や、子どもの成長やいろんなことで悩んでいるのかもしれない。それでも、こうやって励ましてくれている。いやー負けてらんないっすわ。
1年半前のあの頃より、だいぶ落ちたぜ英語力。
ちょっとNetflixで英語の字幕でも見て、鍛えるか。待っとけーモニカ。