母のがん

うちのねーちゃんの話

投稿日:2022年12月31日 更新日:

たびたびブログに登場するうちの姉。

私とは年子なのだけど、学年は2個違い。人生ですいもあまいも分かち合ってきた同志である。

とはいうものの、なかなかのこじらせ系でしてなw

今日も年末のすき焼きで美味しいお肉を食べたら胃痛で寝込むという、ちょっと惜しいタイミングで色々と楽しめていない。

でもまぁ年末で仕事もないし、誰に迷惑をかけているわけでもないのでそっと見守る私なのだけど、いつもは年越もうちで子どもたちと一緒に紅白見て盛り上がるくらいに「家族」である。

さて、そんな姉の人生は「母の呪縛」によって苦しめられてきておりました。

長女、ということに人一倍責任感を感じる姉と、末っ子気質の母はそもそも人間の根本的は考え方が違っており、かなり姉を困惑させておりました。

自由気ままで、それでいてなぜか愛される母と

「ちゃんとしなさい」と言われ、その手本も示されぬまま責任だけは背負わされてきた姉。

母子家庭ということもあり、我が三姉妹は後ろ指をさされないよう、生活態度はもちろん成績も常に優秀を求められていたけれど

「本当はグレててもおかしくないよね」と当時を振り返ると、トリッキーな母の元よく頑張っていたのですよ。

そして気分の変化が激しい母の1番の当たりどころになっていた姉は、1番甘えたい(親に頼りたい)思春期の時期に否応なしに自立させられてしまったのだった。大人にならざるを得なかったのね。

それを側から見ていた次女の私。要領よく「あー、これいうと怒られるのね。めんどくさっ」と色々回避して、そもそも学校に忙しく家にほとんどいなかった。さらに母とは同じ「体育会系フィーリング派」であんまり衝突しなかった。

何が言いたいかって、姉はとっても不遇だったのだ。たった生まれ順が一年違っただけで、私が長女だったら…

きっと

木刀で戦ってたかもしれん(物騒ね)

そしてやり返されてただろう(張り手などお構いなしにしてくる母よ)

それくらい、大変な母だったのだけど…。何がって、いちいち説明するのも面倒なくらい、全ての理屈が「だって◯◯なんだもん」って子どもっぽくて、大人になっても女子高生と会話しているような方だったので

繊細で、思いやりがあって、自分のことよりも「人がどう思うか」を考えて、思慮深い姉からすると

もうちんちきりんな訳ですよ。

でも、きっと心のどこかで、そんな母でも認めてもらいたくて。色々と「ちゃんとしよう」とするのだけど、ことごとくフィーリングで動く母とはついに相容れなかった姉であった。

そんな姉がね。もうこれ以上そばにいると心が壊れてしまうので母と距離をとっていたのだけど、死に際に母の介護に忙しい私と妹を気遣って、戻ってきてくれたわけですよ。同じ空気すら吸いたくないのだろうけれど

そして、ここにきても「相手のことを考えて」色々と手助けをしてくれたわけです

私は、母には感謝をしているけれど(産んでくれたしな。あと経済的に大変だったのに育ててくれたしな)

これ以上姉をズタズタにするなら、接せず、むしろ後方支援で十分だと思っていた。姉にはもう自分の人生を生きていいよと思っていたのでね。

「ちゃんと長女の役目を全うしよう」とする姉は最後の最後まで苦しめられていたなぁ。

母は最後まで自分が姉にどんな嫌な言い回しや、いろんな責任を無意識に強いてきたかまるで気づいていないし、だから当然「1番苦労かけてごめんね」とか言ってほしいことは絶対に言ってくれないのだけど

姉の今後のことを考えたら、憎しみながら会わずじまいでお別れするよりはよかったんじゃないかなーと思うわけです。(責任感の強い姉は何もしなかったらそれはそれで落ち込むよねー)

私が母に何を1番感謝しているかって、姉を姉妹にしてくれたことだよね。妹ももちろん可愛いけれど、10歳離れているともはや第二の親の気分。

それに対して姉は、私の人生の1番深いところで分かり合える「同志」なのだ。向こうはどう思っているか知らんけど

繊細すぎてときどき(いやしょっちゅうか)胃痛で床に伏せてるけど。うちの子どもたちはねーちゃんが大好きで、うちのねーちゃんも子どもたちが大好きで

ときどき子どもを預かってくれて、夫婦でデートに行ってらっしゃいとか

母が入院している時はぴーすけを半日ガッツリ預けたりとか

妊婦の時はぴっぴのお迎えを頼んだりとか

ぴーすけが新生児の時はオムツ替えたりしてくれたり

とにかく我が家の戦力であったわけです。もう姉なしには子どもたちの成長は考えられないくらい!第二の母だったのです

その根本にあるのが「子どもには辛い思いをさせたくない」という自らのベースであり、単純に子どもが好きでその時間が彼女を癒しているんだなぁと常々思うわけ。(そういう言い訳でしょっちゅう手伝ってもらってるがね)

あと面白いと思ったのが、姉の「子どもは社会で育てるべき」という考え方

母親1人が責任を負うんじゃなくて、子どもは社会みんなで育てるんであって、自分の子じゃなくてもみんなで面倒を見ていくって話。

だから、うちの子もよく面倒を見てもらったけど、我が家に遊びに来る子たちはもれなく姉と遊んでるんだw

そしてときどきよそんちの子も預かって、ちょっと一息しておいでよって仕事の合間にやってくれてて

そういう時間が親の「自分を取り戻す時間」だなぁと思ってたのだった

まぁダラダラ喋ってますけども

そんなうちのねーちゃんがこのたび色々と決心しまして、 

保育系の学校に通うことを決めたようです!

これは妹からすると「うん、天職じゃね?転職だけに」というしょうもないギャグを飛ばすくらい嬉しくて

なんなら高校生の時からその道を考えていたのだけど、母の猛反対にあい結局学費は出してもらえず。就職率100%の短大へ進んでいたので

四年制の私立大学に通っていた私からすると大賛成なのであります。(いや学費は自分で工面したけどさ、申し訳ないとは思っていたのだよ)

とは言ってもこれから書類等々山積みで、それが胃痛の原因かも知れなかったりするのだけど

この姉の選択を私は全力で応援する次第です。

何より1番好きなことを思いっきり勉強する環境に身を投じることが姉にとって1番しあわせなことだと思うから(変に思うかもしれないけど思いっきり好きな勉強をすることに飢えているのですよ我が三姉妹は)

まだ決まってないけどよかったなぁと思うのだよね。

明日から新しい年が始まるのだけど、何かを始めようというこの新鮮な気持ち

こっちまで幸せな気持ちだし、ぜひに幸せになってほしい



-母のがん

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