記録として付けておくけども。母の血圧が上が60を切ったと連絡があり、職場を早退して向かった
あれから数日。仕事は午前中で切り上げたり、早めに帰らせてもらったりしながらなんとか毎日お見舞いに行っている。
この土日は、とりあえず平日を乗り切って何かあっても対応可能だと安心していた。やっとぴっぴやぴーすけと一緒にご飯が食べられる。このところ子どもたちはパパに任せきりである。
しかし、さすが我が母、というか。そりゃ去年までは1日6時間も炎天下の中テニスをやるような人だったので、そんじょそこらの60歳よりは強いとは思っていたが
ここにきて血圧が60から80に上がったという。え、上がるんだ
それでも触られるのが嫌で血圧を測ることを拒否してなかなか測れなかったり、見るからに痛みで眉間に皺を寄せてる様子を見ると悪くはなっているのだろうが
いわゆる危篤には見えない。なんなら先週と変わりはなさそうにも見える
こりゃあれだな、危篤詐欺や。知ってるぞ、2月に一回やってるからな。…と内心思いながらも、「子宮頸がん」「腹膜播種」「腸閉塞」「心筋梗塞」と、病名のオンパレードを見ると生きているのが奇跡的なのだ
病室に来てからは、母にできるだけ話しかける。
なんでも、血圧はこれからガクッと悪くなったり持ち直したりはわからないが、モルヒネや精神安定剤の影響で意識はどんどん低下していくという。だから、いつ話せなくなってもおかしくないのだ。
看護師さんは、「お話しできるのは今のうちだと思います。だからたくさん話してくださいね」と言う
だけども、話し声がうるさいから黙れ、と言われりゃそりゃ口もつぐむさ。
でもね、トンチンカンなかーちゃんでも話せなくなると思うと寂しいもので。怒られたらやめよう、と思いながらポツポツと喋るのであった。
新しい話よりも、昔話をしていた。この一年にわたるお見舞い生活であらゆる昔話はし尽くしたけど、話題によっては口元に笑みを浮かべていた。
大抵は、ウンとかウウンとかそれくらいしか返してこないのだけど。不意に、「あのお米持っていってね」とか「横浜銀行でお金下ろしてくれる?」とかろれつのまわらない感じで言い出すのだった
「いいけど、いくら下ろせばいいの?」
「50万くらい」
「何に使うの?」
「当面の病院代に」
そんな金はあなたの口座にもうありませんよ、と思いつつ。この人は一体いつまで生きる気でいるんだろうと思った。確かにお金のない我が家であったが、こんな死に際になってまでお金の心配しないでいいよ、と
たぶん母が1番心配しているのは下の妹である
歳が離れているのもあるけれど、まぁフワフワしているのだ。彼女のために少しでもお金を残したかっただろうに。
まぁでもその心配に反して、妹には彼氏ができたようであった。あんまり恋バナを聞いたことがないのだけど、この局面で1人で色々受け止めるにはまだ若すぎると思っていたからまぁよかった
話を聞いてるといい奴そうだし。来年あたりまだ続いているようなら我が家に招待しよう
私にはお金よりよっぽど未来への希望に見えた
そういう話が母を安心させるのか、それともこんな時に彼氏かよと嫉妬させるのかはわからないが。娘の幸せを願う母、という理想の親とはちょっとずれているのでもしかしたら内心は憤慨しているかもしれないな。
色々話して、それでもネタは尽きて、しばらく沈黙していた。
今まで面会が15分だったのが、24時間いくらでもいていいことになった
それは家族にとってそばにいられて嬉しい反面、「15分」という免罪符が無くなったと言う事でもある
何もない病室に4時間も座っていればもうそれだけで腰は痛いし
長くいればいるほど、良きにつけ悪しきにつけ色々と思い出す
せめてお見舞いで居る間に、みてあげられる間に看取ってあげられたらなとは思うけど。負けん気の強い母のことだから、誰にも見られないうちにいきそうで。
そういうところくらい最後は娘の希望を聞いてくれりゃいいのにと思う。