職場の方から、メダカをもらうことになった。
なんでも、自宅で飼っていたメダカが大繁殖してしまって、増えすぎたという。こりゃーぴっぴには面白かろう、そして情操教育として生き物を育てるという経験はとても良さそうなのでいただくことになったのだった。
ただ、メダカ初心者、さらに小さな2人の子どもが何をやらかすか予測不可能なので、あまり仰々しくない装備で飼うことにきめた。ちょっと前に叔母から届いたアイスクリームの発泡スチロールに、カルキ抜きした水、コーナンで買ってきた水草。
それにしたってずいぶん貧相な装備なのには理由があった。
以前、実はメダカを飼ったことがあるのだ。周りの方のご厚意で立派な水槽をもらい、ブクブク音のする機械と濾過器と完璧な一式セットごと貰ったのだ。しかし、簡単だと言われているメダカを全滅させてしまったのだ。
原因はわからない。ただ濾過器にメダカが挟まって死んでたり、朝起きたら浮いてたり、ちょっとトラウマである。
ああ、私には生き物を育てるセンスがないのだなと思った。
子どもの頃、三ツ池公園からとってきたオタマジャクシは、水を換えるときに洗面台に流してしまった。
金魚すくいで取ってきた金魚は、水槽やポンプをねだって買ってもらいウキウキで世話したが、「ポンプの音がうるさい」と母に夜中に止められてしまった。間もなく全滅。
親が猫を飼っていた時に死んでしまったのがとても悲しかったから、と、そういう類の生き物は飼ってこなかったが正解だったのだろう。夫の実家で飼っていた猫は幸せそうだったが、もし私に拾われていたらこうはいかなかっただろう。
そういうわけでメダカをいただく時にもこの辺りの話をした。「せっかくいただいても全滅する恐れが…」
しかし同僚のおばさまはこう言うのだった「減ってもまたあげるわよ」
なんだかわからんが背中を押され、それならと揃えた装備。
そんな環境でも力強く生きてくれる子たちよウェルカム!
さて、メダカがうちにやってくる日をぴっぴは心待ちにしていた。うちで生き物を飼うのだ、そりゃテンションが上がる。一緒に水草やメダカの餌を買いに行って、これからやってくる仲間を受け入れる準備は整った。
メダカが10匹。新種ではなく昔ながらのもので強いらしい。(よかった)
家に帰ってお庭にカルキ抜きした水を発泡スチロールに入れて、水草を配置し、貰ってきた水ごとビニールをその中につけ置いた。
「なんでお魚入れないのー?」
「急に入れるとびっくりするから、おんなじ温度にするまでちょっと待ってね」
しばらくしてから、いよいよ入水。メダカは新しい住処に警戒しながらも、スイスイと泳いでいる。「わぁ」と歓声が上がって、「ねぇねぇお魚さんピクニックしているのかなぁ」なんて可愛い発言も飛び出したのだった。
ぴーすけはペットボトルの水を入れさせてもらえなかったことにいつまでも怒っていたが、「じゃあみんなで餌をあげようか」と言うとすくっと立ち上がって「あーあー!(俺にもよこせ)」と要求してきた。なんやかんやメダカを受け入れている。
こうしてメダカちゃんのお引っ越し1日目は無事終了したのだった。
次の日の朝、とにかくメダカの様子が気になる子どもたちは、パジャマのままお庭へ。そしてちまちまと餌をあげるのだった。
「昨日は夕方だったからわからないけど、ひさしの下とはいえ日が当たるかな」
「日が当たるとダメなの?」
「うん、お湯になっちゃうからね」
この日は仕事だったので、メダカのためにタオルで日除けを作って出かけていった。ぴっぴをお迎えに行き、洗濯物を取り込もうと庭に出て、ふとメダカを見ると
なんと、日除けのためのタオルが風で倒れて、メダカの入っている発泡スチロールに覆いかぶさっているではないか。ギョッとして中を見ると、水を吸い取ったタオルによって発泡スチロールの中はほとんど水がない。
貰って2日目で全滅させるとは…サーっと青ざめていく私。
この様子をぴっぴに見せてはならぬ、ととりあえずタオルをどかし、含んだ水を発泡スチロールへと絞る。ちょっとずつ水かさが増し、住環境が戻っていくメダカの住処。いやそれにしたってみんな無事なのだろうか。
「ママーどうしたのー?」という声にハッとして、とりあえずカルキ抜きをしているもう一個のペットボトルの水を投入して、メダカの安否確認である。ただ、焦ってしまってメダカが何匹いるのかわからん。
そこにぴっぴがやってきて、メダカの様子を確認した。「メダカさん水が減っちゃったねー」
そうだね…本当にマジでごめんメダカよ。日除けを作ろうという親心が裏目に出たよ
それでもぴっぴはぴーすけと一緒に餌を手に取ってパラパラとあげている。そもそも何匹いたか彼にはわからないのである。そして今何匹いるのかは私にもわからない。
だけど、2日目にしてこんな不幸な事故に巻き込まれてもなお生きているメダカ(とりあえず8匹は目視で生存確認)
この子たちは我が家でも生き残ってくれることを切に願う。