母のがん

東戸塚のホスピス

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横浜市民病院の緩和ケア病棟から、東戸塚のホスピスに転院して数週間が過ぎた。

まぁここに至るまではすったもんだがありまして。

下書き保存していた内容はとてもじゃないけどアップできないような、私の葛藤のあとが生々しく書かれていて、当時を振り返るだけでも頭痛がしそうなんだけど

とにかく仕事が忙しいのをいいことに、決定したホスピス。

余命1ヶ月と言われてから、母の驚異の生命力で4、5か月は生きてるんだね。ほんと余命なんてあてにならんし、あとはその人次第なんだな。

そんな母の今の生きる目標は、「市民病院の緩和ケア病棟に戻る」ということ。

横浜市民病院、「市営」という側面があって元気な患者はいつまでもいられない。1ヶ月の入院ののち、面談→状況が良ければ次の住処を探さなければならない。

自宅介護は荷が重い、結局住み慣れた東戸塚に戻る形で駅から5分のホスピスに転院したのだった。しかし母に言わせりゃ「一時退院」

1、2週間ホスピスで過ごせば、改めて緩和ケア病棟に入院し直せると聞いてここを選んだのだった。通常ホスピスといえば終の住処だ。私たち家族はそういうこともあるだろうな、と覚悟を決めていた。

毎週土日は、私がお見舞いに行き、平日東戸塚で仕事をしている妹がシフトの合間をぬってお見舞いに行く。どちらも行けない時は叔母が行く、というルーティーン。段々と足が細くなり、力強さも無くなってきたが母はまだまだ元気である。

こちらのホスピスの口コミ、あんまり良くなくて心配だったけど、スタッフの方は明るく、母への声かけも優しくて安心した。何より駅から近いので通いやすいし、帰りはOKストアで買い物して帰れる。

そして何より子どもは10分という制限があるものの、孫たちに会えるのがとても嬉しそうであった。

何回か連れて行ったが、ぴーすけは母の顔をペタペタ触り、ぴっぴは保育園のことをお話しした。あんまり話せない母は、前と違ってゆっくりちゃんと話を聞いてあげている。そういう姿を見ると、連れてきてよかったな、と思う。

ぴーすけは先日の誕生日、母が用意してくれた(と言っても叔母が代わりに買ってきてくれた)靴をプレゼントされていた。その場で履いて喜ぶぴーすけを眺めている。こんな時間が、短くはあるけど続けばいいなぁと思っていた。

しかし、次の週からもう子どもたちは呼ばなくていいと言う。小さな子どもたちの溢れる「気」が疲れてしまうのだ。子どもは家で夫に預け、私は相変わらず足に保湿剤を塗りながら、仕事であった話をポツリぽつりと話すのだった。

正直、土日に行くのは辛い。

平日は仕事の忙しさに忘れてしまうけれど、一対一で座っていると、その痩せた姿に「死」を感じずにはいられない。でも、母にとっては唯一の人と話せる楽しみなのだ。その間はいろんなことが忘れられるのかもしれない。行かなかった日に何か起こったら後悔が残るかもしれない

そんな気持ちで週末を迎えている。

子どもは本当に癒しよな

さて、そんなお見舞いのルーティーンに、まさかの姉が一度だけ参加した。母が死ぬまでもう会わないだろうな、と思っていたので意外である。なんの心境の変化?と聞いてみたら

「妹たちに嫌われたくないから」とのこと

妹たちのお見舞いルーティーンが大変なのに、おねーちゃんは何にもしてくれなかった!と後々姉妹で険悪になりたくないとのこと

そんなの思うかーい

私だって、母が大好きでお見舞いに行っているわけじゃないから。いろいろあった家族だけど、死にゆく人に思うのは恨みつらみではなく、60歳という若さで死と向き合わなければならないことへの哀しさと

今ここに自分があるのはもとをたどればあなたのおかげ、という感謝の気持ちだけ

その分だけは、自分が行かないと後悔しそうだから来てるだけ

姉は姉のペースで向き合えばいいと思う。

でも、終わりの見えない日々にうまくバランスを取らないと疲れるなぁ。あぁ夏バテ



-母のがん

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