母のがん

仕事復帰と介護が重なるんでないの

投稿日:2022年3月20日 更新日:

まぁタイトル通りなんですけど、今度の木曜からかーちゃんが帰ってくるわけで、先日退院に向けた会議が行われた。

訪問看護の医師とか看護師さんとかの連携を取るために、ケアマネさんとか福祉事務所の方々5名と、いつもお世話になっている看護師の方や先生など、私たちを入れて総勢10名のチームでの話し合い。2時間弱。

ぴーすけは義母に見ててもらい、妹と参加してきた。

と言っても私たちは、最初のうちは専門用語が飛び交う医療関係者の話を聞くばかりで、ほとんど訪問クリニックの方々で決めてくださる。あぁありがたい。

どうやら介護保険が間に合うようで、介護用ベッドとか点滴とか、車椅子とか手配してくれている。私は家の間取りとか状況を話して、それを加味してこういうサービスあるから入れた方がいいよねなんて話を進めてくれる。

色々やらなきゃと思っていたものは、意外に訪問看護師の方がやってくれるみたい。

ストマの取り替えや腎ろうの管の入れ替えとか、鼻から入ってる胃の管とか、点滴のやり方とか。覚えなきゃいけないことは追々でオッケーと聞いてホッとしてる。

24時間介護ヘルパーさんとかも居るようで、何かあればかーちゃんがボタンを押すと駆けつけてくれるようだ。専門の方々も言っていたけどやはりプロに任せた方が本人も家族も気が楽だという。

「親の介護は子が見なくては」という意識から、家族の方は普段通りの生活をしてください、という言葉をもらった。制度があるのはわかっているけど、いざ自分の立場になると結構私も古い考え持っているな、と思うし、なかなか踏み出しづらい。

期間限定とはいえつきっきりを覚悟していた身としては、またまたほっとしている。

かーちゃんもここにきて少し殊勝な態度で「自分のことは自分でできる、生活の音をちょっと一緒に感じられたら」というスタイルでいる。まぁ今だけだろうが。元々我が家では子どもたちが主役だからね、と言っていたけど、そういう普段通りの生活の中に母が溶け込むイメージなのかな。

ただ、母がいないところで言われたのは、やはりこうやって家に戻ってくると気が抜けて亡くなったりすることもあるという。ただでさえ心筋梗塞でいつ急変してもおかしくない状況なのだから、それは覚悟の上である。

だから、つきっきりで介護ではなく普段の生活の中でちょっと離れて、戻って声をかけたらそのまま眠るように亡くなっていたなんてこともあるし、そういうこともよくあるからと言われた。

それで家族は後悔してしまうかもしれないけれど、本人からすれば家に帰ってきて安心して、その結果が知らない間に死んでしまうのだとしたらそれも母の選択なのだ。後悔よりはそれって病院で1人で死んでしまうのよりは幸せなんじゃないかって思うようになった。

今の母は帰宅に向けてちょっとテンションが上がっている。嬉しいのだと思う。結果的に我が家でしか受け入れることができないけど、孫はいるし妹は通いで来てくれるから病院とは違う日々が過ごせるのだろう。うちの夫も物理的にあんまりいないのだけど、できることあったら言って!という感じである。

何より、夫が買った家ではあるが母がこうやって戻って来られるのも、夫婦でこうしようと話し合った結果だ。母は何より婿殿に感謝していた。(確かにありがたいが夫はまだ何もしてないぞ!)

天気が良ければ外に散歩も行けるし(訪問看護師さんがついてくるときに)

食べるものも今は水分しか取れないけど、口に含むことはできるかな

会いたい人にうちで会うこともできる

そういうちょっと病院でできないことが家ではできるんだな。これ、期間限定だからこういう気持ちでいられるし、プロのサポートがガッチリあるって聞いて安心して迎え入れることができる。始まってみたらもうやんなっちゃうだろうが(きっと喧嘩はするだろう)

外面がいい母のことだから、いろんな人が関わっている方が気力で元気に過ごすような気がする。張り合いがあるだろう。妹と訪問看護師の方がイケメンだったのが絶対テンションあがってたよね、って笑って帰ってきた。

さて、こんな年度末で実は仕事も復帰なんだなー

ぴっぴはもう保育園に通っているので心配していないが、ぴーすけの甘えっぷりが最近顕著。何かを察しているのか。

そしてここにきて母の再入院が緩和ケア病棟の病床の空き次第、ということが判明してもしかすると4月の復職にもろかかってくるんだなー

まぁなるようにしかならないけども、とりあえず準備だけはして「人間迷惑はかける生き物」と図太くたくましく復職しようと思う。

きっと50代とか60くらいでやるはずであったものが、今年になっただけ。今年にギュンっていろんなことが詰まっただけ。いずれ誰もが通る道。

ただ10歳下の妹にとってはあまりにも早い母との別れである。周りからは復職した時に母が亡くなって仕事とかメンタル大丈夫か心配されるけど、妹を心配している限り自分は大丈夫だろうな。人の心配をするのが私の仕事

今日はいつもに輪をかけて支離滅裂な日記だなー



-母のがん

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