母のがん

市民病院の緩和ケア病棟面談

投稿日:2022年3月5日 更新日:

今日はメンタル的にしんどい1日であった。ちょっと吐き出させてもらおう。

かーちゃんの危篤から早1ヶ月。緊張状態は一時的に落ち着いたものの、こちとらどういう状況なのかがわからない。母からのLINEは的を得ないし、コロナでなかなか行って様子も見れない。

いつでも電話をどうぞ、という言葉を信じて市民病院に電話をし、主治医から今の状況を聞かせてもらったのだった。

医師の話では、体のリハビリや食事のリハビリ(飲み込む)をしていて、回復はしているとのこと。一方で腫瘍マーカーは上昇していて、かつ体力的に化学療法は厳しい。そんな内容であった。

先日まで「あと数日」と言われていたのだから、そこまで元気になるのが驚異的だと思ったのが正直なところ。こうなると、退院はするのか、するとしたら介護の準備を整えなくてはならない。でも、母はまだ60歳なので介護保険の認定をもらうには、がんの余命が「6ヶ月」という診断が必要なのだ。

それまで医師と何度も話をしていたが、余命については語られることはなかった。今はそういう話はしないのが主流のようだが、介護保険のためには聞かなくてはならない。すると、「1〜2ヶ月、数ヶ月のレベルではない」ということであった。

三姉妹で情報を共有し、退院するにしても家の環境を整えないとまず難しい話をした。それにしても24時間付きっきりになるようだし、妹1人で介護保険を駆使しても支えるのは不可能だ。まずは家を探すことが先決である。

一方で、もう治療は難しいということから緩和ケア病棟への入院も打診されていたのだった。しかしそれは本人の意思があって初めて入院手続きになるものである。もう治療ができないというショックと、予後(余命1、2ヶ月)について知ったら「さあ緩和ケアへ!」なんて言い出せない。

あとは本人がどう考えるか、どうしたいのかを言い出すのを待つしかないなと判断した。

そうこうしていると、またも市民病院から電話。また嘔吐して、胃管という鼻から入れる胃のくだが入っていること、心筋梗塞を起こしていて血をサラサラにする薬を投与していたが、腸閉塞をしていた関係で出血しやすくなっていたため血をサラサラにする薬はやめることになった話を聞いた。

この数日で、瞬く間に悪くなる。元気そうに見えてガッと悪くなるのが癌。緩和ケア病棟など言ってられないかもしれない。血をサラサラにする薬をやめるということは、心筋梗塞や脳梗塞になる可能性が上がり、今日明日どうなるかわからないのだ。

とにかく、これからどんなことが起こるのか、緩和ケア病棟がどういうものなのか調べるために市民病院に向かう道中でまた病院から電話。担当医師からの電話で、まさしく緩和ケア病棟について母が話を進めてほしいとの意思を伝える電話なのであった。

その足で退院指導の看護師さんに話を聞きに行き、これまでの経緯やら不安な胸の内やらを聞いてもらった。もう涙と鼻水でマスクがびしょびしょであったが、真摯に話を聞いてくれ、そのまま緩和ケア病棟の面談の予約の取り方を教えてもらった。

電話で最速の日程を聞いてそこに予約。子どもを預けて面談と相成ったのだった。

私にきてほしいとのことだったので、妹はあえて連れて行かず。こういうのは私の方が話がわかるし、緩和ケア病棟に行くというのはある意味次のステージに行くということだから辛いだろうなあと思っていた。

コロナなので母には会えないと思っていたが、2ヶ月ぶりくらいに母と対面になった。ときどき送ってくる写真の様子よりもグッと具合は悪そう。酸素も必須だし、点滴とモニターと、何よりベッドに寝たきりなのが元気だった時とのギャップがすごい。

緩和ケア病棟の医師が来て説明を受けて、患者本人と家族双方で合意の上サインをする。時折質問がないか聞いてくれるのだけど、それに対して母は「緩和ケア病棟で2ヶ月過ごして一旦退院することはできるか」「違うホスピスに転院して合わなかったらこちらに戻ってこれるか」などを聞いていた。

自分の予後(余命2ヶ月)を聞いているはずなのだけど、まだまだ生きる気満々なのか、それが希望なのか。事前に看護師さんと母の明後日方向の前向きさに励まされる、なんて話を聞いていたけれど。これは現実を見たくないのか。

でも「この1ヶ月、病室で天井とテレビしか見てなくて寂しい。家に帰りたい。」と言って泣いたのを見て流石に私も泣いてしまった。本当にわがまま放題で散々これまで振り回されてきたのだけど、ここにきて思うのは本当にかわいそうで、なんであんなに元気だったのにこの一年でここまで悪くなってしまったのか。

家に帰るにも、環境を整えないと無理だし、そもそも実家では難しい。新しい家を探して整えないと難しいのだよ。介護保険に、訪問看護とか医師とか、ヘルパーさんとか、私たちが点滴のやり方を覚えないといけないのだ。

それを伝えて、「だから、緩和ケア病棟でその準備が整うまで待ってて。それまでに少しでも管を減らして、体力つけないと戻ってから大変だから。私がその間に色々手続きとかやるから!」

涙を流していた母。実際にはどうなんだろう、準備が整う前に間に合わないかもしれない。退院指導だけでも2週間かかると言っていたし、介護保険の申請やらどういう風に流れていくのかわからない。

それでも、もしいっときでも戻れるのならば、実家でもなく新しい妹の家でもなく、わが家に戻ることになるだろう。コロナで会いに行けない今、ぴっぴやぴーすけと最後に会うのはそれが現実的かな。

そこまでして会わせたい、という想いはないけど死にゆく人の最後の願いだったらできる限りは叶えてあげたいと思う。



-母のがん

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