母のがん

市民病院からの電話

投稿日:2022年2月5日 更新日:

泣きすぎて目がボヨーんだ。まだ母は死んでいない。市民病院から電話があった。

2月3日節分。本当だったら保育園で節分をやるはずだった。でも自主休園中なので家で鬼のお面を作った。

夫が、仕事を早く切り上げて帰ってきてくれた。鬼の役をやるという。

夕飯にしようか、豆まきをしようか。先に豆まいとくか、となった。夫はOKストアで海苔巻も買ってきてくれた。うちの姉も当然のように豆を持ってスタンバイしている。ぴっぴが作ったお面を夫が装着したところ。

その時市民病院から電話があった。母の容体が悪化したので来て欲しいとのこと。

電話を切って、持っていた豆を庭に向かってまいて、とにかく上着を着て家を飛び出した。自転車で10分で行きます、と言ったがそれで着くわけもない。だけど急いだ。

病院について、言われた病室に行くと、すでにICUに移動していた。私も移動してICUへと急ぐ。

こういう時妹に1番最初に連絡がいくはずだが、連絡が取れないという。来る前にLINEにメールを入れたが既読にならない。仕事中か、と職場に連絡した。市民病院に来るよう伝言を頼んだ。

この時18時半。家族待合室に通された。もうひと家族いて、5、6人がタブレットに向かって叫んでいる「お父さん!お父さん、わかる?」ドラマのワンシーンのようだった。多分コロナで会えないからタブレット越しに危篤と思われるお父さんと話をしていた。孫もいた。

そうか、もうそういうことなのかと思って怖くなった。

だって今週から新しい抗がん剤治療するって言ってたじゃん。最後にやりとりをしたのはいつだっけ、と思ってLINEを見たら1月27日だった。昨日「調子はどう?」と送った動画には既読はつかなかった。

なんでもっと早く様子を聞かなかったんだろう

どうしてケンカなんてしたんだろう

妹が仕事を切り上げて来たのが19時頃。その直前に先生から話があった。もう一度妹がきて話をしてくれる。

がんが再発して急速に悪化していたらしい。そこに腸閉塞。痛みと、食事もままならず嘔吐。誤嚥性肺炎になってしまった。挿管して気道は確保したけれど、左の肺は溺れているようになっている。右肺だけでどれくらい耐えられるか。

今は麻酔を使っているから今夜は乗り越えられると思うが、意識が戻って来た時に苦しくて暴れると鎮静剤を使っておさめるしかない。そうすると血圧も下がっていく。

昇圧剤で血圧を上げるのも限度がある。そういう話を聞いた。ようは延命するのか、という判断を家族がしなければならなかった。妹と、決めなくてはならなかった。

ずっとお世話になっているお医者さんの、言ってくれる通りにお願いしますと言ってきた。緊急の処置をしてくれたのものの、ICUは個室ではないので会うこともできなかった。その夜は安定しているので帰ることになった。

また何かあったら24時間体制で連絡をくれるという。



-母のがん

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

抗がん剤治療中のワクチン接種

世の中が、段々とコロナワクチンの接種に向けて動き始めている。 「受けたいのに受けられない若者」を受け入れようとする渋谷の接種会場には長蛇の列。密やん、と思いながらそうだよねー受けたいのにさー受けられな …

体の不調&不眠

さて、色々あったここんところ2週間を終えて、普通の生活に戻りつつある。 横浜市民病院の一般病棟へ(面会全面禁止) 我ながら今までの人生もなんでも乗り越えてきたけれど、親にここまで翻弄される人生だとは思 …

ばぁばからのプレゼント

抗がん剤治療が終わってから、比較的落ち着いていた母。 仕事と育児と介護の両立への道すじ 尿路感染疑いの熱があったものの、前ほど酷くならず入院せずに済んでいる。 髪の毛も少しずつ生えてきているが、どうし …

母のお見舞い記録

最近、久々に会う友達や前の職場の友人などなど 近況を話すことが多くなった。ブログに色々赤裸々に書いているから話したつもりになっていたけど、このブログは高校の親友しか知らないので(笑) ここのところの経 …

母が亡くなって思い出す母のこと

四十九日も済み、お香典返しなどやらなきゃならないことを着実に終わらせ 少しずつ、そして急速に「母のいない生活」が当たり前になってきた 前にも書いたけれど、母と姉の関係が最悪で。どっちかというと姉の気持 …