お気楽な毎日を過ごしているものの、母は今HCUにいるんだって。
横浜市民病院はコロナの患者を受け入れている病院であり、その名の通り「横浜市民」にとって身近な総合病院である。他の病院も同じように、医療は結構逼迫していて、発熱をした母は一般病棟ではなくHCUにいるらしい、と妹からメールが来た。
ぴっぴとぴーすけが絶賛鼻風邪中だったのもあり、前回の4回目の抗がん剤治療の後は、我が家によらず帰宅した母。抗がん剤をやって1週間後くらいにドーンと、ズーンと体調が悪くなり、いつもそれをやり過ごすのだけど、またも発熱。
病院に連絡して、また入院の流れになったのだが、一般病棟はいっぱい。
ここ最近、LINEで登録している神奈川県のコロナ感染者数の経緯では、だんだん人数が少なくなってきているのでわからなかったけど、現実は気軽には入院できない状況なのである。
しかも、母のお世話になっている婦人科の先生は回診の後に、ハンマーヘッドにコロナワクチンの接種のお手伝いに行くとかで。本当に過労死しないか心配である。
くだんのHCUとは、ICU(集中治療室)の一歩手前みたいな、一般病棟と集中治療室のあいのこみたいなところのようで、一般病棟空き次第うつされるとのこと。
それにしたって他の患者に比べるとやはりそういう重いところに行ってしまうのだな、と今の状況を想像するしかないけれど、現実は厳しい。明日退院できないということなら、2回目のコロナワクチンも接種は難しい。なかなかうまくいかないんだなー
母が子宮がんの手術をした日、夜23時にやっと面会できた時、ICUへ足を踏み入れた。ドラマのセットのようにいろんな機械に繋がれ、手術後顔が浮腫んでパンパンだった母がとにかく生きて戻ってきた。
それから5ヶ月。ストマになって、抗がん剤治療が始まって、4回目までが終わった。
話には聞いていたけど、抗がん剤治療って本当にしんどそう。途中でやめてしまう人も多いと聞く。
あと2回の抗がん剤治療が終われば、それがちゃんとがんに効いて、ストマが不自由ではあるものの、以前のようにテニスをやる体力をつけて、またトンチンカンなマシンガントークを繰り広げるんだろうな、という甘い見通しを持つ一方で。
抗がん剤治療は必ずしも効果があるものではなく、こうして過ごしている間にものがんが進行している可能性があることも否定できず。あとは本当に運なんだろうな、と冷静に思っている自分もいて。
どちらの可能性だったとしても、1番しんどいのは本人で、まわりはそれをサポートするしかできないんだなぁと思うばかりである。
ただ、湿っぽいのは嫌いだし、マイナス思考は何もいいことを生まないので
そういうのはことが起こった時に対応することにしようと心に決めた。
私が悲しもうと、塞ぎ込もうと明日は容赦なくやってくるし、子どもたちは日々大きくなっていくし、どうせなら前向きないい言葉をたくさん浴びて、一緒に過ごせる方がお互いにとっていいのではないかと思ったりする。
確実にぴっぴやぴーすけの存在が、母にとっては希望だろうし、少しでも大きくなる姿を見せて、一緒に過ごせる時間を大切にするしかないんだなぁ。
高校生の時、倫理の授業でやった「ハイデッガー」
簡単にいうと、「死」の存在を意識するからこそ「生きる」ことの重要性を認識する、ような内容だったと思う。当時の私は「存在と時間」という本を読んでわかったような気にはなっていた。
だけど、母に急に訪れた「身近な死」で、今生きてることって実は有限で、いつでも死がそこにあることを突きつけられた気がした。だからこそ、残りの時間は大切にしなければいけない。
いつかやろう、と思っていたことはやれないこともあるんだ。
いくらお金があったところで、健康でいられることが1番なのであるよ。とりあえず、子宮系の健診は皆さん行ける時に行こう。