三姉妹会 | yuranotoblog

母のがん

三姉妹会

投稿日:2021年4月11日 更新日:

母のがんがわかり、色々と状況が掴めてきた。悲しんでもいられない、やれることを模索する中で、今後のことについて話し合わなければならないと思った。

私の夫のお父さんが三兄弟なのだが、そのお父さんつまり夫のおじいさんがまだ健在で、介護がどうとか遺産がどうとか大変そうなのだ。幸い仲は良さそうなのだけど、何かあってから色々決めるのは大変である。

我が家は借金こそないけれど遺産と呼べるものは何もない。三姉妹仲が良いのが我らの財産だろう。これから万が一のことがあったときに備え、誰がどう動くか確認することにした。

しかしこれがまた厄介で。姉は母とは絶縁状態。それでも我が家に息子が生まれ、母とバッティングするときはあるが、それより前は引っ越した場所すら知らせない徹底ぶり。母が来るときは姉は来ないし、姉がいるときは母には遠慮してもらっている。そのバランスを取るのが私次女の役目であった。まぁ誰も頼まれちゃいないのだが、それだと平和なのだ。

妹は今はいい大人なのだが、いかんせん10歳も歳が下なので、いつまでたってもみんなの末っ子である。今回も病気のことを1ヶ月も隠していた母も母だが、途中知った妹もこっそり教えてくれればいいのに、と思ったが私たちのように対等に母と渡り合える妹ではないのだ。

で、そんな我らが三姉妹も同じ「母」について考えなければならないのだけど、温度差がある。

姉は病気だろうが母と接することが苦痛だ。我が家は母1人子3人で育ったわけだけど、仕事に忙しい母に代わって小さな妹の世話をしていた姉。はっきり言って青春時代は我慢や犠牲が多かったと思う。やりたいことはやりたいと言ってしまう私と違って察して我慢するのが姉なのだ。たった2歳の差だけど、そんな大きな2歳上の責任を一身に背負っていた姉は母が許せないのだと思う。

ならば後方支援に当たってもらおう。ぴっぴやぴーすけを見ててもらったり買い物に行ってもらったり。何より近くに住んでいるのが心強い。

妹とは入念な打ち合わせ。彼女のバイトと、ぴっぴの保育園のお迎えの時間を調整し、入院の日はどちらが行くとか手術の日に万が一のことがあれば私が駆けつけることを確認した。また、検査の日や次のカンファレンスはなるべく複数で聞き漏らしの無いようにしようと行ける時はどっちも行くなど、ここ10年で1番彼女と喋ったのでは?というくらいチャッチャとことが進んだ。

ぽやんとしているようで頼りになる一面を見たのが意外であった。みんなの末っ子は、母に1番寄り添い、状況を誰よりも把握していたのだった。

お金の話は、これから高額療養費制度を調べたり、ガンによっては人工肛門になって障害者手帳や等級があって補助があるかもしれないことをちらっと確認し、とりあえずそこは私がなんとかすることでスルー。

そして考えたく無いことだけど、もし万が一のことがあったらどう動くかも確認した。今のところ手術ができる時点で末期ということはないのだから考えなくてもいいかもしれないが、手術中に何かあるかもしれない。術後の経過が良く無いかもしれない。予後が悪いかもしれない。決定したステージが進んだものかもしれない。

その時の基本的な考えを、一緒に暮らしている妹と確認し、私も育休中にできる限り介護になった場合などはサイクルを確立してから復帰する方向を話した。一緒に住む妹だけに負担が偏ることがなく、姉の精神的な悩みが体を蝕むことがないように、また幼い子どもが2人いる私の家庭が崩壊することのないように。

母はそういうことを望んでいるわけではないが、いかんせん自分中心で世界が回っていて、我々子どもたちは産んで育ててもらった恩はあるにしても往々に振り回されてきた経緯がある。最後に死ぬのだから自分のしたいように全てやってくれと言うかもしれない。でもすべてを母のために捧げることができない。

そんな自分がちょっとドライなのかと思ったり、それでもいい思い出もたくさんあって、もし死んでしまったらどうしようと風呂で声を殺して泣いた夜もあったり、複雑な気持ちであった。

いかんせんなにも決まってないので、大まかな話と、日程調整に終始したが、これからこの大きな問題に立ち向かうのが1人でなくてよかったとつくづく思う。姉と妹、そして今私には夫という強い味方がいる。何と口出しをすることはないけれど、きっと私の決めたことを支えてくれるだろう。

そして、このブログの唯一の読者である親友も連絡をしてきてくれた。ちょっと本人がそれどころじゃ無いのでいつ言おうか、いや言うまいなと思っていたが、ブログに思い余って書いてしまったのだった。

昔から人の気持ちに寄り添いすぎて一緒に泣いてくれる人なのだ。彼女が泣いてしまうのが私には申し訳ない。でも、彼女という友達や支えてくれる人の存在を改めて教えてくれる出来事であった。

さぁこれから怒涛の1週間が始まるぜーーー

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-母のがん

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