仕事が始まって、意識してぴっぴやぴーすけとの時間を大切にしようと思っている。永遠に続く子育てなどなく、いつかは手を離れる。今この子ども期を逃さずたくさん話してたくさん遊ぶぞ!
そんなお正月。
ダラダラ正月ではあるものの、「じゃあ今年の抱負でも言ってみようか」となった。
「ほうふってなあに?」
「そうだなー。今年頑張ろうとかやりたいことかなー」
パパは育休復帰の年でお仕事がんばるよー
ママは送り迎えを滞りなくするために、健康第一かなー
んで、ぴっぴは?
「んーぴっぴは字の勉強がんばる!」
えらいなぁ。お勉強か…
「ぴっぴ、えらいけどお勉強そんなに頑張らなくてもママはぴっぴ十分すごいと思うよ」
なーんて話していたわけです。(ぴーすけはアンパンマン!って叫んでたけども)
そんな時しみじみと、「こうして家族でお正月を迎えられるっていうのはありがたいね」と夫婦で話していました。そこにぴっぴが
「お家がない人もいるから?」と聞いてくるわけです。
今回(去年の年末)は思うところあって、炊き出しのボランティアに行ってきましてな。夫に子ども2人任せて行ってくる時にぴっぴがどこ行くのー?って聞いてきたから
「ご飯を作るお手伝いをしてくるのよー」とな
「誰にー?」
「うーん、お家がない人とかね。寒くてあったかいご飯を食べたい人かな」
「なんでお家ないの?」
「いろんな理由があるんだなぁ」
説明に窮するアラフォーですよ。わかりやすく伝えたくても、根本の概念などは伝えにくく「言葉通りに」受け取るぴっぴにはありのまま伝えていいものなのか。
そんなおうちがない人、お正月にもそういう人に思いを馳せるのは大事なわけで。
「お家がない人も、無事にお正月を迎えられているといいね。」と話していたのでした。
連日のニュースの映像をたまーにテレビで見ると、ウクライナの民家が砲撃でガラス窓が割れて、風の吹き荒ぶ中新年を迎えていると思うとなんとも言えない気持ちになる。
それを見ていたまたもぴっぴが
「なんで窓割れてるの?」
「うん、砲撃を受けて…ミサイルがドーンて飛んでいてお家を壊してるんだよ…戦っているんだ」
「英語の国の人たちはなんで戦ってるの?」と聞いてくるわけです。
夫が
「国を大きくしたくて戦って取ろうとしてるんだよ」
「戦って勝つと大きくなるのー?なんで大きくなりたいの?」
「不凍港が欲しいのよね。欲しい欲しい!って戦ってるんだ」と私。
そういうと、しばらくぴっぴが考えて
「英語の人たちは我慢すればいいのにね!保育園でも欲しいものがあってもぴっぴは我慢するよ。戦って取ろうとしないよ」
というわけです。そうだね5歳児。概念がわからないからこそ、本質をつくというか。そうよね、保育園のお友達も暴力で持って行こうとしたら諌められるわよね。
「だからね、僕が正しい!って言うんじゃなくてそれぞれのお話をちゃんと聞いて、仲良くするのってすごく大事なのよ」
そんな高尚な会話をしたのち、義実家にも訪問したのですが
「ねーじいじのほうふってなぁにー?」とぶっ込んでました。お片付けらしい。さらに
「なんで英語の人は戦争するのー?」とぶっ込んでいました。
じいじは「想像力が足りないんだ。こうやって攻撃されてお家がなくなって辛い思いをしている人がいるってわからない人もいるんだよ」
と話してくれた。そうだね。どんな理由があろうとも、戦争で解決することなんてない。そして戦うそれぞれに家族がいるんだよね、と
こうやって無事にお正月を迎えられることをしみじみありがたいと思う。ぴっぴもぴーすけも元気に大きくなっている。暖かい家で美味しいご飯を食べられる。それって本当に幸せなことなんだと思う
てか、恐るべし5歳児