母のがん

嫌な流れは重なるもので、母の具合が悪くなってきました

投稿日:2022年10月27日 更新日:

後ろ向きなブログを書いていたその日。自分のミスで職場に多大なる迷惑をかけてしまった

その尻拭いをしてくれた同僚と共にあと始末に追われていた最中、妹からラインが来ていたのをすっかり忘れてしまっていた。

いや、正確には既読をつけたけど

その日はなんとか次の日に復旧できるようギリギリまで仕事をし、21時近くに家に帰ってきたので、読み飛ばし、読んだことすら忘れてしまっていたのだった。

そんな次の日、テンションは下げ。後処理をしてくれた同僚に再度詫びを入れお礼を言い、上司にあらためて報告し、あんまりすぐに気持ちを切り替えるのも反省の色がないと思って、心通りに落ち込んでいたところ

昼をとっくに過ぎた頃に、妹の新たなラインに気付いたのだった。どうやら母の病院から電話が来ており、緊急ではないけれど姉を連れ立って病院に向かうと言うことだ。

ここでどれくらいことが重要かというと、姉と一緒ということ。姉はもう病院には行かないだろう、と言っていた。しかしそれぞれが病院に向かっているというのだ。え、死ぬのか

妹の簡潔なラインの文言によると、上の血圧が60をきったという。それがどれくらいやばいのかわからないが、11:30に電話を受けた妹が15:30を目標に病院に向かうタイムラグを考えると、すぐ何かあるわけではなさそであった(色々とツッコミどころが多い妹なのである)

私は私で動揺する気持ちを抑えつつ、直属の上司にざっくり状況を伝え、早退させてもらうことにした。妹の洗練されすぎたラインの内容では的を得ないし、きっと妹もわからないだろう。病院に行くのが1番手っ取り早い。

そう思っていったん家に荷物を置いて、病院に向かった。この日のために夫には育休をとってもらっているのだ。夫と短い時間で打ち合わせをし、今日は帰れないかもしれないことを告げた。2人の子どものご飯・お風呂・寝かしつけまでマスターしている夫には信頼感しかない

さて、道中でなぜか姉と合流。妹の方が遅くなるという事態に。それでも病院に着くと、案外母は元気そうであった。

というか、この前の日曜と何も変わってない…?

相変わらず足は私の腕くらい細いし、目はつぶったまま、口は半開きであるが自分で息もしている。

そこに妹が合流し、さらに後から伯母もきた。遅れて伯父もやって来て密になりそうだったので私と姉はいったん外にでた。

ホスピスではこのところ面会時間15分という厳しい内容になっていたが(それでも市民病院は面会なしなのでよっぽどいいが)それが30分に延長された直後であった。

しかし母の容体がまた少し悪くなったことで今までの面会カードとは違う「Free」のカードを手渡されたのであった。なんと、24時間面会オッケーになるという。しかも今までは3人しか入れなかったのが、何人でも入っていいという。なんか急に緩いな!

ということはやっぱり悪いのか。でも見かけはこの前と何も変わらないけど。

廊下にいた看護師さんを捕まえて、母に聞こえないように色々聞いたところ

ここにきて上の血圧が60まで下がって、このまま血圧が下がるともう上がることがなく、危険な状態になるということ。

しかしながらもともと母は血圧が低かったので(上が80くらい。うちはみんなそんな感じ)、ガクッと落ちた訳でなくこのまま緩やかに下がっていくか、急に下がっていくかは誰にもわからないということ

あとはご家族の判断で、面会は24時間夜中でも心配ならいつでも来られる状態であるということ

を教えてもらった。そして、私が見そびれていた妹と伯母のお見舞い連携ラインには

「目が覚めると不安が強いみたいだからモルヒネを減らして安定剤を入れている」

「血圧が不安定になっているから急に血圧が下がって意識がなくなるかもしれない。そうなったら血圧は上がらない」「急変があるかもしれないから覚悟してください」

という内容が書いてあった。いくら疲れて意識が飛んでても、こんな大事な内容をスルーしてしまっていた自分に驚いた(つくづく仕事っていうのは自分を狂わせるな)

そんな連絡があった次の日に、母の血圧が低下したのだった。そりゃ危篤だろう。急変ってやつか

ただ、見た目には変わらず、私たちがワイワイ話している内容に時々ろれつの回らない感じで会話に参戦してくる様子を見て、今晩は大丈夫だろうと判断して病院を後にすることにした。

帰り際に母に「今日楽しかった?」と聞いたら頷いていた。ぴっぴが生まれた時の話をしてたら笑っていたという。「もうちょっといようか?」首を横に振る。「また話しててもいい?いっぱいいたらうるさい?」と聞いたら首を縦に振っていた。

さてどうしたものか。やはり血圧が低下したらと思うが、この半年は「もしかしたら」がもしかしなくてゆるゆると下降していった事実がある。ここからまた長丁場になるか、明日何かあるかは誰にもわからない。

三姉妹で夕飯を食べながら作戦会議となった。誰にとっても初めての親の死に直面である。

2月の時もいろいろ手はずは整えたが、今はまた状況が違う。私は職場に復帰しているし、妹の職場も変わった。いざという時の動きを確認して、お金のことや手続きのことを話し合った。おおむね2月の時のまま、多少の変化はあるものの、あの時よりよっぽど落ち着いて考えられる。

こういう時に姉妹がいるのは心強い。まぁ仲がいいのが1番良いことだが、1人で親の死を考えたり受け止めるのはやはり辛かっただろうと思う。

それでもやっぱり解散して、家に帰るまでの道中は泣いたし、お風呂の中で1人泣いたし、夫に状況を説明しても泣いた。

あんなに話が通じなくて、煩わしいと思っている親でも、もうその時が迫って来ていると思うと涙は出るものなのだな

あと1ヶ月で61歳の誕生日だというのに

ぴっぴやぴーすけの大きくなる姿を見たかっただろうに、と思うと涙が止まらなかった

いつもはぴっぴしか使えない「贅沢保湿」の高いティッシュを使ったことは黙っておこう



-母のがん

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