なんの親父ギャグかよ、と思うのだけど。
洒落が通じるかどうか、というのはコミュニケーション能力というか、素地のネタを知っているか、そしてそれを変換できるか、というのがミソだと思う。
つまり、それを言った側と言われた側がいい感じにその元ネタとなる事象を理解してこそ、阿吽の呼吸で「面白い」となるわけで。そうでなかったら、言った側の自己満なのだよ。
なんでそんなことを思ったかというと
先日、私が楽しく友達とお出かけをしている間に義母が訪問し、いろいろ食材を置いて行ってくれたらしい。夫もその時子どもたちと昼寝中だったのか誰とも義母と顔を合わせることがなかった。
夫がメールでお礼を言ってくれたのだが、持ってきてくれたのが「山盛りのローストビーフ」であった。これまたデパ地下の超美味しいやつでして。お値段も張りそうなもの、元気づけようと暑い中届け置いてくれたのだった。
その日はそのことを知らず、次の日の夕飯に出てきた時に知る私。夫あるあるだけどね、自分の親だからお礼はそこそこでいいかもしれないけども、私からもお礼を言わないと、でしょう!
そんなわけでちょっとタイムラグがあってのお礼。出遅れた感があるけど、仕事やお見舞いで忙しい時もままある。ちょっとウィットにとんだギャグでもかまそう、とメールの文中に美味しかったことと共に
「分入っても分入っても肉の山でした」
と感想を述べた。これは、携帯で打っていても予測変換で出てくるほどの超有名な、種田山頭火の「分入っても分入っても青い山」のパロディなのであった。読書家のお母さんならピーンとくる俳句を文字ったギャグなのである。
うちの義母は性格はもちろんのこと、読んでる本とか美術のセンスとか本当に教養のあるステキな人なのだ。
遅れた返信に対して、またも丁寧にお買い物エピソードを面白おかしく載せたメールをくれた。つねづねエッセイでも出したら売れそうな内容のメールである。
そんな話を夫にすると、俺の方にも返信が、と夫。どうやら私の送ったメールに対して
「この分入っても分入っても肉の山、は種田山頭火の「分入っても分入っても青い山」の俳句を元にしているってあなたはわかっていた?本当に文化レベルの高いお嫁さんをもらってあんたにはもったいない!うんぬん…」
というメールが送られてきたそうな。私の送ったメールを知らない夫はいきさつを聞いてやっと「そういうことかぁ」と納得していたが、ところで種田山頭火知っているの?と聞くと「もちろん知らないと」のことだった。
こうして、ギャグに対して注釈の入る1番恥ずかしい展開ではあるが、やはりお母さんとのことわかってくれてたのねと思うわけだ。
高校の国語の時間、国語の資料集みたいな国語総覧というのを読むのが好きで、全然関係ないページをめくっては「なんこれ」と1人ツッコミをしていたのを思い出す。
同じ自由律俳句では「咳をしても一人」とか、え、こいつ俳句のルール知ってんのか5・7・5だよ!とか突っ込んでいた。
短歌もなかなか面白くて
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 by 俵万智
とかね。いや日記やん。
一度は聞きましたでしょう?そういうのを拾ってみんなでパロディとか言ってる高校生だったのですよ。
あんまり読んだことのない小説を、総覧きっかけで読んでみたりとか。(吉本ばななとか。ペンネームにばななって)
あと漢字で「くだん」は「件」と書くのだけど「くだんの件で…」って「頭痛が痛い」的な面白さがあるなぁって使うことにハマってたり、言葉遊びに面白さを見出す年頃なんだよね。
私の中ではそういうのも含んでざっくり教養だなぁと思うのだけど、こういう言葉選びとか、話のリズムが合うととても居心地がよく感じる。1番話してて波長が合うのは姉。
さらに高校の親友もかなり読書好きでいつも待ち合わせ場所に枕みたいな本(京極夏彦)持ってきてたり、話してて面白い。
大学の友達もたまに好きなジャンルがかぶる人もいたけど、どっちかっていうと学部によってなのかなぁ…。そもそも、ちょっと変態めいたこの言葉に対する熱さ、かといって全然言葉遣いとか全く綺麗じゃないのだが
さがすとさ、なかなかいないもんなのです。合う人。
だからこそ貴重なのですよ。
もちろん姉にしても友にしても長く付き合ってきて波長があってくるってのはあると思うのだけど
夫、出会って10年以上経ちますが全く合わない。笑
ま、それでも一緒にいられるのも貴重なのだけど
少なくとも義母は自分の尊敬できるタイプの人で本当に良かったなぁと思う限りなのだった。