母のがん

久しぶりのお見舞い

投稿日:2022年8月12日 更新日:

抜歯後にもお見舞いには行っていたのだけど

その後母が濃厚接触者に。本人に知らせても不安がらせるだろう、と伏せておいた。

今のコロナは罹っても比較的軽症で済んでいるらしいけど、免疫が落ちている人にはどう作用するかわからない。とにかくこちらがうつすことのないように、控えていた。

この、お見舞いに行かない間に私は思う存分「行けない間」を満喫した。抜歯後仕事に行かないのをいいことに映画を見まくった。その一つに「アダムとアダム」というのがあった。

これは未来から来た自分が過去の自分と出会ってどうのこうの、とSFものなのだが

ちょっと身につまされるシーンがあって、自分と母の関係を見直すきっかけになった。

私はずっと母に怒っていた。何をするにも人のことより自分ペース。最後も好き勝手やって勝手に病気になって…。癌になって私たちを振り回す。

私も病気を受け入れられなくて、困惑して、怒って、「なんで検査を受けなかった」「何で不摂生したの」といまさらどうしようもないことで怒っていた。

でも気持ちの根底は「悲しい」のだ。

少なくともあと数ヶ月のうちには死んでしまう。元気だったくせに、あっという間に先に逝ってしまうことが悲しいのだ。

その感情を、怒りとはき違えていて、ぶつけようのない思いをずっと持っていた。

でも、前回お見舞いに行った時に、素直に「死んでしまうことが悲しい」と口に出した。母は驚いていた。大丈夫なのかと思っていた、と。

そんなわけはないのだけど、私まで悲しんで泣いてたらどうするんだ、という気持ちだった。

でも悲しい。

色々あったけど、お母さんがいなければ今の私はいなかったし、小さい頃は一緒にお菓子を作ったりピアノを習わせてもらったり、好きにサッカーさせてくれたり

思春期になってから苦労は多かったけど、楽しかったと伝えた。

母は大丈夫だよ、と。私はここ数年が1番幸せだったよと言っていた。

お金の苦労は多かったけど、仕事は充実してたし、好きなテニスはできたし、ぴっぴが生まれてから孫の世話しながら頼りにしてもらえたし

3月に私の家で一緒に過ごした時間も幸せだったよ

そういうふうに素直にお互いの気持ちを話すのは初めてだったと思う。もう死んでしまうのだ、という思いが強すぎてなかなかそういう話ができなかった。映画を見たのがきっかけだけど、ちゃんと言えてよかった。

今日は病室に行くと母が寝ていて帰ろうかな、と思った。タイミングよくヘルパーさんが来ておしっこのパックを換えてくれて、目が覚めた母。

他愛もないことを話して、ぴーすけもスイミングを始めたこととか

今度できる天王町のイオンにスシローと餃子の王将が入るからテンションが上がるとか

オープンの10月まで生きてるかもわからんな、ってのにはウーンと言ってたけど

前より穏やかな時間を過ごせている。

なんか前だったらいちいち気に障ったアドバイスも、今は素直に聞ける。これは何だろう、私が変わったからかしら。それとも母も変わっているのか。

お互いによかったなぁ



-母のがん

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

繰り返す入退院備忘録

かーちゃんからまた連絡あり。「二回目の抗がん剤無事終わりました」とのこと。 今後の治療や生活の見通しのために入退院備忘録をつけておこうと思う。 母の退院 4月27日の13時間に及ぶ手術から1ヶ月。 子 …

今日も今日とてお見舞いだけど、暇なので人生でやりたいことを挙げる

仕事が落ち着いて(いや全然終わってないけど!)本日も早退 夕方に病院に到着すると、伯母が母の隣に座っていた。午後に来て、ぼちぼち帰ろうとしたのだけど「お姉さんずっといてね」と言われたのだった そう言わ …

子宮頸がん手術当日

市民病院の入院手続き 手術当日。3〜4時間ほどの手術のつもりでいたけれど、7時間の長丁場に、妹と相談して前半後半に分けて待機することになった。 ぴーすけは家で姉がみるという、三姉妹連携体制がとられた。 …

腫瘍マーカーの結果CA19−9

三連休の真ん中だというのに、横浜市民病院から電話があった。 残念なことに、2人の子どもの対応に追われ気づかなかった。かけ直すも、休日は急患以外は受け付けていないというアナウンスが流れた。 はて、母は入 …

再びの入院

おかんの手術が終わって1ヶ月。13時間をこえる大手術だったのと、そのとき創設されたストマの関係で1ヶ月入院していたオカン。 今後の治療 先週、無事退院となった。退院直前いろいろストレスフルなわたしは相 …