抜歯後にもお見舞いには行っていたのだけど
その後母が濃厚接触者に。本人に知らせても不安がらせるだろう、と伏せておいた。
今のコロナは罹っても比較的軽症で済んでいるらしいけど、免疫が落ちている人にはどう作用するかわからない。とにかくこちらがうつすことのないように、控えていた。
この、お見舞いに行かない間に私は思う存分「行けない間」を満喫した。抜歯後仕事に行かないのをいいことに映画を見まくった。その一つに「アダムとアダム」というのがあった。
これは未来から来た自分が過去の自分と出会ってどうのこうの、とSFものなのだが
ちょっと身につまされるシーンがあって、自分と母の関係を見直すきっかけになった。
私はずっと母に怒っていた。何をするにも人のことより自分ペース。最後も好き勝手やって勝手に病気になって…。癌になって私たちを振り回す。
私も病気を受け入れられなくて、困惑して、怒って、「なんで検査を受けなかった」「何で不摂生したの」といまさらどうしようもないことで怒っていた。
でも気持ちの根底は「悲しい」のだ。
少なくともあと数ヶ月のうちには死んでしまう。元気だったくせに、あっという間に先に逝ってしまうことが悲しいのだ。
その感情を、怒りとはき違えていて、ぶつけようのない思いをずっと持っていた。
でも、前回お見舞いに行った時に、素直に「死んでしまうことが悲しい」と口に出した。母は驚いていた。大丈夫なのかと思っていた、と。
そんなわけはないのだけど、私まで悲しんで泣いてたらどうするんだ、という気持ちだった。
でも悲しい。
色々あったけど、お母さんがいなければ今の私はいなかったし、小さい頃は一緒にお菓子を作ったりピアノを習わせてもらったり、好きにサッカーさせてくれたり
思春期になってから苦労は多かったけど、楽しかったと伝えた。
母は大丈夫だよ、と。私はここ数年が1番幸せだったよと言っていた。
お金の苦労は多かったけど、仕事は充実してたし、好きなテニスはできたし、ぴっぴが生まれてから孫の世話しながら頼りにしてもらえたし
3月に私の家で一緒に過ごした時間も幸せだったよ
そういうふうに素直にお互いの気持ちを話すのは初めてだったと思う。もう死んでしまうのだ、という思いが強すぎてなかなかそういう話ができなかった。映画を見たのがきっかけだけど、ちゃんと言えてよかった。
今日は病室に行くと母が寝ていて帰ろうかな、と思った。タイミングよくヘルパーさんが来ておしっこのパックを換えてくれて、目が覚めた母。
他愛もないことを話して、ぴーすけもスイミングを始めたこととか
今度できる天王町のイオンにスシローと餃子の王将が入るからテンションが上がるとか
オープンの10月まで生きてるかもわからんな、ってのにはウーンと言ってたけど
前より穏やかな時間を過ごせている。
なんか前だったらいちいち気に障ったアドバイスも、今は素直に聞ける。これは何だろう、私が変わったからかしら。それとも母も変わっているのか。
お互いによかったなぁ