くらし 母のがん

夫と話し合った夫婦の選択のこと

投稿日:2022年5月3日 更新日:

この1年、本当にいろんなことがあった。主に母のことではあるが、これは母の問題ではあると同時に私の問題でもあった。

それはこれまでの親子関係の総決算であり、これから自分が子育てをするときに何を大切にするのか、それがよく見えた。

ぼんやりとした理想から、これから自分が死ぬときには息子にこんなふうになっていてほしいとか、こういうふうに関係を築きたいとか。

そしてそのためには夫婦で同じ方向をむき、協力しあっていかなければだなぁと改めて思った次第である。

それだけでも、この1年は必要だったのだ、と思う。

というか、そうやって思わないとこれが無駄だったのだとすると悲しすぎるから。何らかの意味のある年だったのだと思うようにしたい。

前置きは置いといて。

薄ぼんやりとしていた自分の死とか、すごーく先だと思っていた自分の介護とか、色々と私は思うところがある。

これからいくつかのイベントを経てまた考えは変わるだろうけど、書き留めておこうと思う。

このブログは夫には一切見せていないが、私が死に瀕した時とか、死んでしまったときに夫が振り返って思い出を共有する相手は私しかいないのだから、その時はこのブログのありかを教えてあげようと思っている。

なんか遺書みたいだけど…(不穏)

でも、急にそういうことになったときに何もない方が迷惑なんだと今回悟った。なので書いておくのだ。

もし何かあったときに、私は延命措置はしないぞ!

何だか唐突だけど、今回母が死にかけて1番困ったのがこれだ。

急にICUに行って、呼び出された時点でもはや動揺しているのに、人の命の決断を迫られるこのプレッシャーたるや。親でも嫌だ。

夫婦とはいえ他人、こんな大事な選択を、ミスって後悔させるわけにはいかない。

かといって健康な時は考える余地もない。だって、自分の心臓が止まるその時のことなんて考えて生きていない。

でも今回私は考えた、そして決めた。延命措置はしない。それは心臓マッサージも、人工呼吸器も、挿官も、胃ろうも、ありとあらゆる延命措置はやらない。

万が一助かったとしても、高額な医療費で家族を圧迫したくないし、意識がないまま生きていても私は嬉しくない。

その時はそれが運命だと思って受け入れる覚悟ができた。

それが寿命なのだ。叶うのならば、痛くないようにそっと眠らせてほしい。

万が一脳死状態になった時(その時は延命措置してないと人工呼吸もしてないってことだから状況としてあり得ないのかもしれないが)

顔以外の臓器は健康な人にあげてほしい。自分が助からないならせめて未来ある若者に譲ってくれ。

自分が死んだ時の葬式と墓は無用。

このコロナ禍で葬式はやらないことが多いかもしれない。

しかし、今回母が危篤になっていよいよダメですと言われて、どう段取りをつけていいのか全くわからず、生まれて初めて葬儀会社に電話した。

動揺している自分と、冷静に葬儀社数社に相見積もりを取っている自分。

結果的に母は死んでおらんが、これまた残された者としてはどの程度の規模の、どのくらいの予算のものをしたらいいのか悩む。

はっきり言って葬儀は高い。これは、人の死という誰もがやりたくない仕事をやってくれているのだという、いわば手数料としては安いものかもしれない。

しかしながら、人の死が関わることで青天井になりがちだなぁとも思う。

今回、母の葬儀に関して、彼女の財産があるわけでもなく、私がその費用を出すと考えるとちょっと痛手である。これから子どもにお金もかかる。

死んでしまう人よりも生きている人にお金を使いたいのが本音だ。

だけどそれでケチったら親不孝と後ろ指をさされるかもしれない。どーでもいいことに悩むのだ。

だから私は、きっと自分が死ぬであろうその時息子たちもしくは夫が迷わないように言っておく。

葬儀は不要、火葬だけで結構。最安値のプランを相見積もりを取って選んでくれ。それくらいの貯金は遺す。

そして葬儀をやるくらいなら、そのお金でパーっと美味いものでも食べるか、昔行った旅行先などを訪ねて思い出話でもしてほしい。それくらいの金は遺そう。

無論、お墓も同様。大して信心深くもないのに、寺を儲けさせるだけのお金を払うのも癪。

最近では納骨しないで家に置いておいたり、骨をダイヤモンドに加工したり、いろんな供養があるという。

海に散骨するのは法に触れそうだから、市営の共同墓地でも、合同墓地でも残った人たちが都合のいいようにしてくれればいい。

間違っても墓守が、なんてことは言わない。死んだら私の意識はもうこの世にはないのだから。あとは心の中で思い出してもらえるだけ、いい親であるための努力をしよう。

現実的な介護の方法を考える。

これは、今の時代のことでしかいえないのだけど。

核家族化が進んで、人の死は家で看取るよりも病院で看取ることが多くなっていると思う。

「介護」っても2週間弱しかしてないし、何なら今も緩和ケア病棟に居てくれてるので何もしていないが

そんな短い期間でも、自分の親でも、かなり精神的に削られた。

これを、「嫁だから」とか実子でもないのに押し付けてくる伴侶とは全力で距離を置きたいものである。

私も、家で見ようと思えば見れたかもしれない。でも、それはイコール夫に大部分を任せることになる。

それは、夫婦関係を良好に維持したいと思うのならば、絶対にやってはいけないことだと思っている。

親孝行?そんなものは私が立派に仕事をして、子どもを育てている姿を見せるだけで十分だ。

親になった今ならそう思う。自分が親になってわかったのは、「自分の子どもに介護をしてほしいだなんて微塵も思わない」ということだ。

それを自分の配偶者にやってもらうだなんて、遺産を全部渡したとしても申し訳なくてできない。

うちは息子が2人。この2人がどんな人生を歩むかは、彼らにとってだってわからない。しかし、親が彼らの人生の障害になったらいけない、と思うのだった。

現実的なのは、自分である程度の準備をすることだ。まず、生涯を共に過ごすと誓った夫の手を借りること。

これはお互い様なのでガンガン頼る。しかし、この時も公的なサービスはありったけ使う。

介護認定も、便利家電も、ご近所さんも、あらゆる方面で自力でできることは自力でこなすのだ。

それでもどちらかが倒れたり、いよいよ無理なら介護施設。

そのときに今以上に人手不足が進行していることも考えて、お金の蓄えだけはしておきたい。金で解決できるなら金で。本当はピンピンころりが理想的だけど、そんなに楽観的な人生ではなかったのでね。

何かの記事で読んだけれど、認知症が進行する環境においてやはり施設に入ると一気に進むというのはあるらしい。

そりゃ家で一人暮らしをすれば全部自分でやらなければならないから、多少物忘れがあっても進みは遅いのだろう。

もし、私が認知症になってしまうのだったら、認知症の人が集まって、徘徊しまくってる村に解き放ってほしい。ドイツやらにそういう村があるらしいが、そこではスタッフも一緒に住んでいて、認知症の人も自由に歩き回っているそうだ。そしてそっと家に誘導してくれるらしい。

施設に入って無味乾燥な1日を過ごすなら、刺激的なそういう村で好きなように過ごさせてほしいなぁとも思う。ドイツ語しゃべれんけど。

それが無理なら、家族が安心してそれぞれの生活を送れるような施設に入れれば御の字である。

もし自分が余命のわかる病気になったとしたならば

ただ、もし自分が今、この瞬間に病気になったら…とも考える。ある日突然余命宣告されるのだとしたら、1日でも長い時間夫とぴっぴ、ぴーすけと過ごしたいと思う。

ありとあらゆる治療を諦めても、元気な状態で家にいたい、と。

だから、きっと癌になって母と同じ状況になったら

①手術ができる状態なら手術

②抗がん剤治療はしない。効くこともあるが健康な細胞もダメージを食らうので、その分家で子どもと過ごす。

③母に勧めたけどついに拒否されてなされなかった、丸山ワクチンを試す。

あとは、家族の負担にならない限り、自分でできることは自分でやりながら自宅で過ごす。

そして、末期になったらホスピスに入る。これまた末期患者専用のホスピスがこの近くにあることもわかった。

自分ができることは、あとは1人の時間を充実させるだけの趣味を持つということだ。

1人でベッドで過ごす1日は長い。そしてさみしいこともあるだろう。

でも、これからの人生がある人たちの貴重な時間を、自分のために全て使ってほしいとは思わない。そういう献身は求めない。

ここまで書いてきて、「今はそう言っているけど、実際自分がそういう立場になったら違うこと言うでしょ」とか思う人もいるだろう。

そう、それは確かにそのときにならないとわからない。

ただね、もっと人生経験を重ねた「大人」になったら、そういう考えにより近くなると思ってる。

というかね、自分でもどうなるかわからないのに、自分の夫や子どもたちに困惑して欲しくないから書いているんだってば。

何も楽しいゴールデンウィークに書かなくってもいいのにねぇ。



-くらし, 母のがん

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