ついに1歳9ヶ月になってしまった!
ここら辺から、ぴっぴの成長記録がブログに載っているので、単純に兄弟で比較ができてしまう。しかしながら環境はまるっきり違くて、特にコロナの影響は大きいなあと思ったりする。
ぴっぴの時はマスクなどせず、初めての育児で不安はあったものの、妊婦教室から一緒のママ友がおり、それはそれで心強かった。わかる人から教えてもらうよりも、同じ不安を共有しながら語り合えることのありがたさ。
そういうもののきっかけがコロナで色いろとなくなっているのは寂しいものである。
ま、2人目はそういう教室系も開催されてても参加できなかったりするし、コロナの影響だけではないのだが刺激が足りないという点ではぴーすけはちょっと不利なのかもしれない。それが言葉の面で「ママ、にゃーにゃー、わんわん」の三語と「ん」で大体会話が成り立ってしまう現在のぴーすけの状況を物語っている。
しかし、彼の理解力は言葉以上に冴えていて、お願いやお叱りの言葉をきっちり理解している。
最近ではぴっぴに「ごめんなさいって言ってよ」と言われると明らかな拒否を示し、「ごめんなさいって強要されるのが嫌!」という意思表示をする。おお、よくわかってらっしゃる。
そもそもごめんなさいとかありがとうは強要されるものではないよね。しかしながらその場にあった対応というのも求められるのよ、というなんとも大人の事情で指導をするのだけど、彼は本能の赴くままに行動するので、そういう世間体とかタテマエみたいなものが嫌いらしい。(と、思う)
だから、たとえそれが相手がママだろうと兄だろうと「俺が嬉しい時は全力で笑うし、嫌な時はなんだって嫌だぜ!」と絶賛イヤイヤ発動中なのだ。特に兄に対するライバル心とママへの執着は凄まじい。ぴっぴはよく顔を攻撃されて泣いているのだった。
でも、体が大きくなってきて手先も器用になってくると、2人で遊ぶことも多くなってきた。さらにおしゃべりなぴっぴが四六時中ぴーすけに話しかけ、一応内容を理解しているぴーすけが「ん」とか言うと会話が成り立ち、ぴっぴとしては自分の思っていることを肯定して聞いてくれる良き話し相手をゲットした模様。
いかんせんママは話半分にしか聞いてないし、真剣に遊んでくれないもんだから、ぴーすけの方が同じレベルで楽しめるのだろう。こうなってくると子育てもちょっと楽になってきたなぁと思う。(楽させてもらっている)
ぴーすけができるようになったことを書いていこう。
でんぐり返し(補助付き)をマスター
靴下を1人で脱げる
夕飯の準備でお皿を運ぶ、夕飯の片付けでお皿を下げる
米を炊くときにはかりで米を炊飯器に注いでくれる
言えば片付けをしてくれる
寝ていると揺さぶって起こしてくれる(ありがた迷惑)
ほっぺにチューしてきてくれる
ぴっぴと一緒にYouTube見てダンスする
油性マジックのフタを開けられるようになった
そうそう、義母が何度か我が家にぴーすけの面倒を見にきてくれてるのだけど、その時にひたすら紙に「ニャーニャー」の絵をかかされた義母。2時間ずっと…。その時にマスターしたのが油性マジックのキャップを外すという技である。
筆圧が弱くても描ける油性マジックがえらくお気に入りになったので、紙にひたすらグルグル書いてぴっぴとキャハキャハいいながら遊んでいる。それをいいことにほっといたら、見事に絨毯に芸術的模様を描かれてしまった。
なんか疲れてたので怒る気にもなれず(まぁほっといてたがこういう展開も予想はしていた)その時思ったのが「もうキャップとか自分で外せるんだなー」なんていうなんとも平和ボケした感想なのであった。
その日遅くに帰ってきた夫も、「この絨毯将来高値で売れるんじゃない?(芸術作品として)」という親バカっぷりを発揮し、夫婦ともどもしょーもないのであった。
そういえばぴっぴもこういうことあったな。水性ペンだったけど。
ぴっぴとの絡みが非常に大きいが、ちょっと2人のやり取りを見てほっこりすることが多くなってきた。やはり小さな人がいる生活というのは、わたしたちを幸せな気持ちにしてくれるんだなぁ。絨毯は落書き放題されているけど、それを上回る癒しなのであった。