母のがん

横浜市民病院の一般病棟へ(面会全面禁止)

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驚異的な回復力を見せた母は、ついに一般病棟へ移ることになった。

この1週間は、危篤の連絡を受けるところから始まり、誤嚥性肺炎と心筋梗塞と「もはやこれまで」と覚悟することのオンパレードであった。

私もこの歳にして初めて人の「危篤」さらには延命措置をどうするかなんて重要事項の決断を迫られ、「親」という関係性ゆえにめちゃくちゃに動揺する1週間を過ごしたのだった。

万が一の時を覚悟し、葬儀屋に相談したり喪服を用意し直したり、予行練習というかデモンストレーションというか、縁起でもないけどそういうシミュレーションもでき、もはや「いつでもこい!」的な肝の据わり方をしている。

そこまでいったのに、「羽生結弦パワー」なのか、孫パワーなのかはたまたこの世への執着なのか、母はICUで挿管された呼吸器の管を卒業し、きっと昇圧剤も卒業し、一般病棟へ移った。それから、ICUでは預かれませんと回収してきた着替えやブランケットなどを、また届けてほしいとの要請が来たのだった。

紙オムツにおしりふき、ティッシュペーパーに着替え、ブランケット、飲み物は解禁されたとのことで紙パックの大量のジュースを詰めて、また横浜市民病院へと向かった。

気持ちは3日に比べて穏やかなものである。あの日はもう死ぬかもしれない、と思ってとにかく急いだが、今回は子どもたちの昼寝をさせて、夫に預けてのんびり自転車を漕いだ。

雪が降る前でよかった、なんて思えるほどの余裕で。教訓をいかし事前に電話をし、13時から16時の間に持ってきてくださいとのことで、病棟に着くとデカデカと「面会全面禁止」と書いてあった。

インターホンを鳴らし、看護師さんに荷物を預けると、汚してしまったパジャマを持ってきてくれた。そして一言、「元気だよって伝えてくださいって言ってましたよ」と教えてくれたのだった。

以前はコロナ禍とはいえ個室なら面会ができたし、お医者さんの説明があればデイルームというところで待つこともできた。面談室でお医者さんの話を聞く間まで母と話すことができたが、今はそれすらもできないようだ。それでもいつもお世話になっている病棟で、いつもお世話になっている看護師さんのいるところでよかったね、と心の中で思った。

我々は、というと「日常」に戻ろうと努力している。この1週間の動揺はなかったことにはできないが、ICUでの厳戒態勢は解かれ、フツーにテレビを見ているというのを聞いて、「いつでも行けるように」しておく必要はないと判断。

それぞれが休んでいた仕事に戻り、なるべく普通の生活をしながら何かあれば私を起点に連絡をすることにした。今回のことで良くわかったけれど、このコロナ禍ではコロナに感染していなくても「最期のとき」に家族でさえ会うことは難しい。

でも、最後に会うことが大切なのかとも思う。語弊があるが「最後に会うことだけ」が大切なのかということだ。私は喧嘩別れしてしまったから、あれっきりだったら後悔しか残らなかったけれど、この1週間でやることをやって気持ちスッキリした。

親の死に目に会えないのは不幸、みたいに言うけれど本当は死に目に会えないって言うのは死ぬ瞬間じゃなくて「親より先に死ぬのが不幸」ということのよう。確かにその順番自体は間違ってないな。死ぬその瞬間には立ち会えないかもしれないけれど、この1週間だけでも何度も会いにいったし、本人の希望を叶えようと娘たちは最優先に動いた。

もっと言うと、この一年それぞれの生活がある中で母の望みを叶えようと、病院に付き添ったり行きたいところに付き合ったり、食べたいものを持っていたり、子どもたちを連れてったりいろんなことをしてきた。それは母の痛みに比べれば些細なことかもしれないけれど、仕事をしていたらきっと叶えてあげられないことばかりだったなぁと思う。

この1年がなくて、死に目に会えなかったら確かに後悔しきりだけど。この1年があっていつ何があってももう後悔はないくらいにやりきった。それは妹が1番思っているだろうが。

まだ60歳だからもっとぴっぴとかぴーすけの成長を見たかったと思うし、どんなに長生きしたって悲しいことは悲しい。が、これから厳しい局面がまたやってきた時に、そうやって残される側は納得するしか前に進む方法はないんじゃないかな。

オキシコドンを使った痛みの調整が続いている。がんそのものは否応なしに進行している。もっとゆっくりだと思っていたけれど、いつなにがあってもいいように覚悟だけはしておく。



-母のがん

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