2月5日。いいかげんなんの連絡もなくて、急激に悪化しているのか、それとも少しは持ち直したのかわからないままであった。何かあれば連絡をする、ということはそれまではずっと緊張が続いている。
いざという時はぴっぴとぴーすけを見ていてくれる義母も、疲労の色が濃く見えた。ただでさえ人の家じゃ落ち着かないだろうに、「いつどうなるかわからない」状況のままの緊張感。
そんな昼下がり、市民病院から電話があった。普段マナーモードにしているので、聞き覚えのない着信音にドキッとする。慌てて出ると、いつもお世話になっている婦人科の先生からであった。
先生の電話によると、今朝血液検査や心電図の様子から心臓になんらかのイベントがあったらしい。イベント、というのは話を聞いていると悪い方のイベントで、どうやら心筋梗塞があったあとが見つかったようだった。
そして、本当なら心臓の検査をするためにカテーテルを入れたりするのだけど、それすら体に負担になるのでそれはやらないという。土曜ではあるが、たまたま循環器の先生がいて、薬を使って症状をコントロールする処置をこれからする、とのことだった。
しかし、その薬を使うと血栓ができやすくなってしまうらしい。それは心臓だけでなく、脳とかにも血栓が飛んで脳梗塞を起こすこともあるとのこと。
つまりはまた一段階悪い方に進んだということであった。これから入れるその薬が良い方向に作用すればいいのだけど、これからやってみないとどうなるかわからないらしい。
私は、どういう時にまた連絡がもらえるのかを聞いた。ようは安定してきた時に連絡はくるのかその薬の作用がうまくいったのか知りたいのだが、連絡するのは急変した時とのことであった。会うのは難しく、急変したときもICUではまた会えない可能性が高いということも教えてもらった。
循環器の先生からまた同じ話をしてもらえるとのことであったが、それは大丈夫です、と答えた。忙しいICU。誰から聞いてもあとは薬がどう作用するかは母次第なのだろうから。
隣にいた妹にさっくり説明し、義母も横で話を聞いてくれ、それでもまた待つことしかできないことを伝えた。また一段と重い空気になった。今すぐどうこうではないが、また少し悪い方向に進んでいく、そんな感じ。
姉は妹のための大掃除を終えて、この日は私と彼女の「まさかの時」の喪服を買いに行ってくれていた。何かあればすぐ帰ってくるようにと伝えていたが、この電話の内容を伝え、急がなくていいがゆっくりもしていられないことを伝えた。
私はここからいよいよ母が死んだ時のことを考えている。まずどこに連絡すればいいのか。何をすればいいのかネットには書いてあるが、近くにある葬儀屋さんに連絡をして話を聞いている。
誰に知らせるのか、身内だけってどこまでなのか、いくらかかるのか、そんな話。まだ生きているのにしたくないけど、死んでしまった時の自分の気持ちを想像することができない。ひたすら最後にあった時の母を思い出しては泣いている毎日であった。
自分の気持ちを整理するように、夫にだけはお葬式の話もした。全面的に話を聞いてくれて、いいと思うよと相談に乗ってくれる存在に何度も助けられた。次の日は夫が休みなので、義母には一旦家に帰ってもらい、少しでも緊張をほぐしてもらうことにした。
何かあれば、三姉妹が揃って病院に駆けつけられるよう、義母は日曜に戻ったら月曜の朝にまた来てくれる。日曜の朝は義母がフレンチトーストを作ってくれて、ぴっぴとぴーすけは美味しそうに食べていた。
こんな状況の中でも、小さい2人がいるとホッとするのであった。