とりあえず妹と家に帰った。自転車を引いて歩いて。
妹に泊まっていけばと言ったが、家をそのままできてしまったので帰るという。しかし心配なので姉が一緒に帰ることになった。実家には死んでも帰りたくない姉だが、妹の様子が心配なのであった。
姉妹を見送ったあとは、わたしは夫の肩を借りて大号泣であった。突然のこと、まさかこんな展開になるとは。
ぴっぴが周りで何かを言っていたが聞いていられなかった。夫に事情を説明して、その日は睡眠剤を使ってとにかく寝た。
2月4日。夫が仕事を休めない代わりに義母が来てくれることになった。実家に帰った姉と妹は、朝イチで準備をしてタクシーで帰ってきた。継ぎ目なく三姉妹がまたそろった。
いつ病院から連絡が来てもおかしくない。先生もわからないと言っていたが、もう「日にち」の問題なのだ。
そういう不安をきっと感じていたのだろう。朝ご飯を食べて、夫を見送った後、やってきた姉や妹と一緒にデザートを食べていたぴっぴが盛大に吐いた。
もうマーライオンの如く。一時現場は騒然。みんなであれこれ手配して、朝から洗濯祭りとなった。
前に、母の手術や病院通いの中で、疲れていたのだろう。私が足に味噌汁をひっくり返して火傷をした時があった。沸騰したお鍋を太もも全体に盛大にこぼして救急車を呼んだ。結構な惨事であった。
その時もいい子でその一部始終を見送った後、姉と家で一緒に待っている時に盛大に吐いたらしい。そういう思いをまたさせてしまった。というか、心配させすぎか私。
熱もなく、吐いたらケロッとしているところを見ると、とりあえず大丈夫かなとみんなで安心したのだった。繊細なところがあるぴっぴなのを忘れていたよ。
それが落ち着いて、洗濯も干して、義母が来るまでの間に妹は仮眠をした。昨日は寝れなかったという。そりゃそうよね。姉が子どもたちとテレビ見たり遊んでくれる中で部屋の大掃除。気が紛れる。
元気になったぴっぴは「ママのこと心配していたんだよ」と言ってきた。あと、昨日ラーメン屋さんをやっていたのに誰も買いに来てくれなかったことを恨めしく言われた。そうか、泣いている時君はラーメンを売っていたのね。
ぴーすけすら買ってくれなかったというぴっぴをみて、やっと普段に戻った気がした。
ぴっぴはばあばがお腹が痛いことをよくわかっていてるが、ママがなんで泣いているのかはよくわかっていない。ママだってなんで涙が出ちゃうかよくわからない。
妹が起きてきたら、今度は姉が家の掃除に帰った。妹はしばらく姉の狭い家で寝泊まりする。そこに義母がやってきてくれた。昨日の晩、夫が連絡してくれ今日の昼に来たというのにたくさんのご飯を作って来てくれた。
お昼にお稲荷さんを食べて、友達が来る予定だったので焼いていたにんじんケーキも食べて、ぴっぴとぴーすけは昼寝をしたのだった。義母にさっくりと現状を説明して、寝ている2人を預けて三姉妹で買い出しに出かけていった。
いつまでも泣いてはいられない。「その時」が来たら何が起こるのか。何をしなければならないのか。調べる限り調べて、動くなら今日しかない。目を真っ赤にはらしながらサミットへと急いだ。
しばらく買い物もできないであろう買い出しと、妹が姉の家にしばらく泊まるので新しく出来たニトリで布団を買い、もしもの時の喪服も7年前のものは着れなくなっていたのでコルモピアでみたが取り扱ってなかった。
いつ電話が来るかドキドキしていたが電話が鳴ることはなかった。夫も早めに仕事を終えて帰ってきて、みんなで夕飯に義母の作って来てくれたシチューと、煮物と買って来てくれた焼き鳥を食べた。義母はそのまま泊ってくれる。
風呂に入ってもその間に電話がくるんじゃないか、髪を乾かしてて間に合わなかったらどうしよう。
眠りにつけば寝ている間に電話が鳴ったら取れるのか、子どもたちが寝るまでは考えなかったが、母と最後にあった日のこと、言ってしまったこと、喧嘩別れしてしまった後悔が後からあとから襲ってきた。声を殺して泣いていたが、ぴっぴもぴーすけも肌で何かを感じている。夜も眠れないのであった。
5日は土曜日。今度はぴーすけが何だか不機嫌。昼寝も断末魔の如く泣いてやっと寝たかと思えば、30分後には起きてまた喉が裂けそうなくらい泣いて、抱っこでようやく眠りにつき、ソファーで寄りかかりながら寝た。
義母に2人とも懐いているし、大好きなのだけど、結局私にべったりであった。
昼に公園に連れていった時も、ボールを追いかけて前のめりに転倒し、口を切ってしまったぴーすけ。あごも擦りむいた。普段ならしない怪我である。赤子ながらぴっぴよりもどっしりしているぴーすけ。それでも何か感じるところがあるのだろう。