母とやり合う一件があってから、冷静に考えようと本を一冊読んだ。
「嫌われる勇気」
何年か前に、めっちゃ流行った本であるよ。私も流行りに乗って読んだけど、当時より今の方が自分にドーンと響くものがある。手元に置いてあってまた読んでいる。アドラーさんの考え方、フロイトさんより好きです。
ここでもう一度立ち返る。
母のがん、もといこれからどうするのか、というのは「母の課題」であること。どういう結果になっても困るのは母自身である。これを忘れてはいけない。ちょっと突き放した言い方だけど。
私は確かに娘だけど、基本的には大して何もしてなくて、実際に苦労しているのは妹である。では、私が何を恐れているのか、といえば妹が介護や看取りで潰れてしまったり、負担が偏って姉妹が不和になることである。
そうならないために、私が嫌な思いをしたくないがために先回りして手を回している。
周りがどうのこうの言って、結局私のしたいように環境を整えたとしても、当の課題の本人=母が行動を変えなければ未来は変わらないのである。水辺へ連れて行っても水を飲ませることはできない。つまり本人が欲しなければ訪問介護も訪問看護師も派遣できない。
だから、きっと私は何か頼られた時に「こういう手があるよ」とかサポートに徹すればいいのだろうけども
土壇場になって「どうしよう」と「こんなはずじゃなかった」と言われるのが容易に想像できるからこんなに心配しているんだなぁと自分で思う。まぁ今までもそうだったからきっとそうなんだろうな。
それでも、「今は何もしない」という選択をしたのが本人なら、それは本人の課題だから介入してはならないのだ。
いうても、それでいいのかーって思う。妹に対してポーズだけでも何かしなくていいのか?!元来人の課題に介入したがりの人間なので、親の話となったら「何かしないではいられない」
腎ろうの消毒とか、病院の付き添いとか、これから体が自由に動かなくなってきてからどうするか考えるので本当にいいのか。妹は潰れてしまわないか。そんなテキパキ手配できるのか…
悩んだ。本人はいらんと言っている。私の顔も見たくないようだし
今度の検査結果も聞きに来なくていいという
まぁ行かない。来て欲しくないのに行くのもおかしいし
もっとほわほわ、何かあったら言ってね☆みたいなスタンスで居ればよかったのかと。そっか!もう関わらなくっていいんだ!ってスッキリすることもできないし。もやもやしますわ。
さて、それでずっともやもやしている性格でもなく、かといって放置もできず。とりあえず、市民病院の先生に連絡した。
そして現状、妹が色々と1人でやっていることも伝えた。訪問看護も今は拒否ってることも。
いずれ介護が必要になる前に、なんらかの相談できるところとつながっておいた方がいいと思うこと。
それを、先生の口からアドバイスで言ってもらえないだろうかと。
なんせ、「先生のいうこと以外聞かない」と言ってたもんで。
先生は笑っていた。「お母様の性格上そうなりそうですね。私もこれから急激に悪くなる場合も含めて、元気なうちにそういう体制を作っておいた方がいいことは伝えます」
と言ってくれた。ついでに検査結果もわかったら教えてください。母はきっと教えてくれないんで。
本当に忙しいのに、厄介な家族ですみません。なんか本当にすみませんよ。子ども2人抱えてできることってわずかだけど。子どもを持ってわかったのは、はちゃめちゃな母だけど、確かに愛されてはいたんだなぁということ。
母を反面教師にしながら子育てしていますけど。愛情豊かな部分もあって、そう簡単には嫌いになることはできず。
今は私は幸せなので、少なくともここまで育ててもらったから今の幸せな人生を自分で見つけることもできたんだなぁとは、それくらいは感謝している。
自分の人生と家族が1番だけど、自分が後悔のない程度に知らんぷりして裏から手を回そう。