夜中に3回嘔吐して、死にかけていたかーちゃん。
今なら言えるけど、「家族の人を呼んで説明を受けてください」と言われていて、私が呼び出されたとき(いつもついていく妹ではなく)
あぁ、いよいよ余命を言われるんだ、って思ってた。
結果的に、ただ「手術の説明」を聞いただけだったのだけど。というか、処置の最中に家族が病院にいてねというやつ。
一瞬でも、「余命」が頭によぎるほど、その日は具合が悪くぐったりしており
妹には家でぴーすけを見ててもらったけど、場合によっちゃそのまま緊急会議や!と思っていた。
腎ろうを造設する前は、おしっこが尿路ストマからきちんと排出されずに尿毒症のような症状になっていたらしい。
熱は上がらないにしても、ずーっと具合が悪い状態が続き、嘔吐もしていた。
それが、40分ほどの手術の後、自力で歩けるまでに回復。
その週の金曜日に血液検査をし、次の月曜日にまた血液検査をして比較して、OKが出たので退院した。
本来ぴっぴの誕生日を祝うはずだったのが、そのまま入院になって3週間ぶりに退院ということもあり、帰りに我が家に寄って行った母。
ぴっぴはいないが、ぴーすけとさんざん遊んでちょっと元気になって帰っていった。
この件をきっかけに、危機感をつのらせた私は、また家探しを開始。
4月から復職したらなかなか出来ないし、何より「何かあったときに駆けつけられる距離」に住んでいてもらったほうが安心。
しかし、現在仕事もしておらず、病気でこの先どうなるかわからない状況で家を貸してくれるオーナーってほとんど皆無。
いずれ妹も家を出てしまうので、高齢者の一人暮らしになる。それって大家からするとかなりリスクファクターなのよね。
馬鹿正直に全部話すことはないけれど、誠意がないような気もするし、そもそも審査が通らないので難しい。
子連れの物件探しはなかなかに骨が折れるので、かーちゃんが元気そうな今はちょっと小休止だ。
母は母で、前回ぴっぴに自らの手で「シルバニアファミリー」を渡せなかった心残りがあり、クリスマスプレゼントは何かあげたい!と言い出した。
近所に買い物に行く体力すらないのに何もいらんわ、と話していたが
ぴっぴがこよなく愛する「いちご」を要求しておいた。
前回手術した腎ろうの管を交換する外科処置をする日、我が家にタクシーで立ち寄り、いちご2パックを置いて行った。
このいちごは、近所の八百屋まで自分で買いに行ったらしい。
保育園から帰ってきたぴっぴに早速いちごを出すと、喜んで食べていた。そして、窓に向かって「ありがとーーーー!!」
いや、もう多分家だよ。(聞こえんがな)
それにしても、一時はどうなるかと思った容態が、こんなに元気になるとは。
ストマ2つに加えて、背中にも管が一つ増え、しかもそれは自分では消毒ができないのでわれわれが講習会しに行ってやり方を覚えてきた。
母も背中に管があるんじゃ寝るのに相当なストレスもありそう。しかも今度は足に尿袋を装着している。(スパイが拳銃隠すところ)
不便は大いにあるものの、この元気な姿を見ると「ああよかったな」と素直に思えるのだった。
年内はあと一回市民病院の消化器内科で造設した腎ろうの調子を見たり、ストマの調子を見たりするようだ。
このまま悪化することなく穏やかな年末になりますように。