いやー三日坊主がよう頑張ったと思う。
最初ははてなブログで書き始めて、1年続いたので自分でワードプレスでブログを立ち上げてみた。
中学生の時からブラインドタッチはお手の物でしたがね、ネットに関してはブロードバンドって何?Wi-Fiの仕組みってどーなんてんのよ、というレベル。
サーバーとかドメインとかワードプレスの仕様とかテーマとか、プラグインって何とか。
そもそもダッシュボードってなんぞやとか。ネットで検索しながら、好きな感じのホームページに仕上がってよかったなー。
色とか絵とかどんどん追加していこう。いや、もはやあとは日記を書くことだけに専念したい。もう立ち上げはできないな、めんどくさい。
さて、日記という名の下に未来の息子たちに宛てたブログ。
夫にも知らせていない内容なので、好き放題に書いているけど結構身につまされることが多く。
最初は育児ブログの予定だったけど、
コロナでお店がどんどんなくなっていくのを見て【わが町ほどがや】カテゴリーもできたし、
母ががんになって自分の気持ちを整理するための【母のがん】カテゴリーもできたし
思い描いていたような未来が本当にあるのかしら、と思ったりしてね。
もしかしたら、自分の考えているようなのほほんとした未来ではなくて、
途中で病気したり、急な事故に遭ったり、この日記に書いてあることが最後の言葉になるようなことだって実際はあり得るのだなと感じたわけで。
そういう意味で自分が生きてきた証というものが日記だったりするのだろうな。
日記といえば、第一子であるぴっぴを出産するとき、大袈裟であるけれどもしかしたら「死ぬかもしれない」ことを覚悟した。
そりゃ経過は順調でつわりすらなかったけど、出産というのはいつの時代も命懸けである。
無痛分娩という技術はあるものの、基本的には大昔から自力で生むしかないのだから。
そのときに、高校の時に書いていた恥ずかしい青春日記を処分した。
見返せば見返すほど、こんなもの遺品整理で夫が発見したら恥ずかしすぎる!!とビリビリに破り捨てたのである。
そして、もう一個就職活動を分析した「自分ノート」も処分した。
これまた闇に包まれた自問自答ポエムのオンパレードであった。
ある意味高校時代よりこじらせている。私の恥ずかしい思い出は、私と関わった人たちの心の中にふわっと存在するくらいがちょうどいいのだ。
ちなみに夫に向けたサヨナラの手紙も書いていたが、そちらも処分した。無用になってよかったよかった
ぴーすけの生まれる時は、備忘録としてノートに日頃のぴっぴのことのあれこれや、家の仕様を書いたものを遺言がわりに残したが、今もピンピンしている私。
ポジティブとネガティブがないまぜになったこの自分の思いは、来年、再来年の自分が見たときに「はぁ、そんなしょうもないことで悩んでおったのね」くらいに消化され、
どんどんたくましくなっていく母である自分を後押しするのだろう。
自分の出産の時は、けいゆう病院で産む人のブログを死ぬほど検索しまくったし、母ががんとわかったら子宮頸がんのブログを死ぬほど読んだ。
だから、きっとこのブログも誰かの役に立つ日が来るだろう。
割と役立つと思うんだよなー
情報はどんどん古くなっていくけど、どんどん自分をアップグレードさせて、常に最新情報に触れていたい。ぴっぴにはテレビ見せてもらえないけど。
とりあえずもう1年がんばるぞー