ここ数日、ものを捨てまくっている。
断捨離がブームではあるけれど、基本貧乏性なので「もったいない」と思って捨てられないでいた。
その意識を本来変える事ができた引っ越し。しかし、「捨てたつもり」でほとんどのものを新しい家に持ち込んでしまった。
引っ越し前はとにかくものが多かったが、1LDKの団地から新しい家(3LDK)に引っ越したからにはスッキリ暮らせると思っていた。
しかし何故だろう、1LDKの時と同じようにものに溢れている。
前の家は、収納が一部屋しかなかったが、クローゼットはとても大きかった。
大きいのをいいことに目一杯詰め込み、さらに夫は実家からタンスを持ってきて、私は20年もののフィッツケースを持ち込み、三段ボックスなどを買い込んだ。
洋服に、仕事がらみの書類、思い出の品。無尽蔵に広がるモノのスペース。本来収まるはずの布団は畳んで積んでおくしかなかった。
それでも特に不自由はなかった。モノで溢れて困ることはないが、モノがなくて困ることを懸念した。
だから「予備」とか「何かあった時のため」に捨てないでとっておくものもあった。使ってないのに。
引っ越して2年が経つ。子どもがもう1人増え、コロナで家にいる時間も増える。
机の上や、カウンターがごちゃっとしているのが当たり前になっていた。だけど、本当に望む暮らしはこんなものだったのだろうか?
そんな私の実家はめちゃくちゃものが多かった。
この度、母ががんになって、いっときは「末期」であることを覚悟した。病理検査でステージ3になったものの、あと10年生きるかと言われたら甚だ疑問である。
もしかしたら死ぬかもしれない。
その時にあの実家の片付けをやるのか。妹にその後始末を押し付けるのか。
生きているうちに少しでも整理して、身軽になって近くに引っ越してくるなり入院するなり整えておきたいと思った。
そして1ヶ月入院している間に片付けに着手した。
まぁでも恐ろしいほどに大変であった。何せ25年分のモノ。
壁に作りつけた手作りの棚からは、うんと昔の思い出の品から今使っているものまでごちゃごちゃ。さらに押し入れには隙間なく配置されたフィッツケースが。その1つ1つにぎゅうぎゅうの服。
人は2人しかいないはずなのに、一生かけても着れないような服の数。
妹は母の意向を汲んで捨てれないと言うが、容赦なく捨てまくった。
それは「着ない服のために家賃を払って、狭いスペースで縮こまって暮らすのは違うだろう」と言うのが合言葉だった。
本来人のための家なのに、もののためにスペースを使ってる。
そんなこんなで粗大ゴミを出しまくり、服を20袋くらい捨てまくり、妹も自分の服を精選し、タンスも捨てた。
フィッツケースも5個は捨てた。そうやって生まれたスペースにベッドを入れ、退院した母はストマありでも家で寝られるようになった。
それでも物で溢れる実家。だが、母の考えも少し変わったらしい。
残りが少し見えてきた人生、何を大事にするか考えているようだ。モノのために生きるのではない。暮らしやすい家で、ストレスなく生活したい。
できれば我が家の近くでサポートするために、引っ越しに向けてもう少し断捨離を進めなければならない。抗がん剤治療が落ち着いてまた再開する予定だ。
ひるがえって我が家。実家の断捨離で私も思うところがあった。この家で1番高い買い物はなんだろう。
そう、家だ。
この家のスペースこそ1番価値があって、それは物ではない。
家族の団らん
帰ってきてぐちゃあっとしてないリビング、物置小屋になってない部屋、書類で溢れ返らない机の上。
今のままでは実現しない。多すぎるから片付かないのだ!
私の出しっ放し大王っぷりが子どもに伝染したら大変である。
幸いぴっぴは夫の遺伝子を遺憾なく発揮し、「出したらしまう」を実践している。が、それもモノが増えたらしまえなくなる。
片付けが出来ないというのは、じわじわと自己肯定感をけずるのだ。
この2週間ゴミ袋に6個くらいの服を捨てた。
ぴっぴにと母がブックオフで買ってきた服は、ぴーすけに残すものを精選し、もらってくれそうなものは友に渡し、汚れてるものは捨て!もらったものを捨てるのは気が引けるが、もらった時点でどうするかは私の手の中にあるんだ、と意識し直す。
結局、着せやすい服を洗濯して着せるから手持ちの数はそんなにいらない。保育園に行くのにストックはいるけれど、適正な数を見極めればなんとかなる。
そして自分の服。
気に入ってたけどくたくたの服、もらったけど趣味じゃない服、安くて買ったけどサイズ感がビミョーな服。
捨てー!
好きな服ばかり洗濯したモノの中から持ってって着てる。子どもが産まれて、着ないなーって服も増えた。とにかく着やすくて洗濯しやすい服ですよ。
ちゃんと収納ボックスに収まる量。
7割の余裕、ぎゅうぎゅう詰めにしない。まだまだ断捨離はしないと、せっかくの家が泣いている。でも、スッキリとものがなくなったカウンターを、夫婦で眺めているとなんだか心が豊かになってきた。
これから子どもが自分で持ち帰ってくるものも増える。それに備えて自分なりのだんしゃリズムを整えていこう。