先日、こっころに遊びに行くとアジア系のカップルとお子さんがいた。タイ人の友達がいるので、そっちかなと思って声をかけるとミャンマー人であった。
おそらく人生ではじめて出会うミャンマーの方。話してみると、日本語ぺらぺら。なんせ、「日本語上手ですね」と言ったら「まだまだです」と返してくださる。謙遜を…!
彼女とは途中同い年ということがわかり意気投合、すっかり仲良くなった。考えてみると、タイ人のママ友も、今や帰国してしまったインド人のママ友も非常にいい人である。せっかく数ある国の中から日本に来てくれたのだ、「いい国だったなぁ」と思ってもらいたいし、ご縁は大切にしたい。
頭のどこかでミャンマーって今大変な国だったよなと思いつつ、穏やかで話の弾む彼女に深く込み入った質問などはしなかった。
連日のようにミャンマーでのデモの様子は伝えられていたが、やはり意識して見るようになったのは友達になってからだろう。
両親とお姉さんが本国にいて、いずれ呼びたいと思っていることや、毎日見聞きするニュースに安否を案じていることをのちに知る。文化の違う日本での保育園の準備が整わない大変さと、ミャンマーの家族の安否。同じ年なのに、抱えるものの大きさを知った。
日本で暮らしてると、よほどのことがなければ家族の安否など確認しない。便りがないのはいいたより、なんて連絡がきて初めて思い出すくらい。まさか命の危機にあるとは思わない。
しかし、今日寝かしつけから奇跡的に起きて、そうっとリビングに戻ると、夫がNHKの番組を観ていた。ミャンマーの特集だ。
そこには写真で、動画で国軍の民衆へ向けられた銃口がうつっていた。デモに参加する若者が撃たれている。市民は平和的にデモに参加していたのに。エンジェルさんという19歳の女性も後ろから軍に撃たれたであろうことが検証された。
そんな国から来ているのだ。そんな国に家族が残っているのだ。
ミャンマーといえば、小学生のころからアウンサースーチーさんが出てくるたびにテレビにうつるあの国だ。選挙によって政権を手に入れ、やっとこ民主化しようとしたらまた軍がそれを武力でひっくり返すクーデター
彼女が日本に来てから起こった民主化の希望に、今回のクーデターの絶望。ミャンマーにいたころの軍事政権。同じ年なのに全く違う人生を歩んできた。生まれた国が違うだけでこんなにも人生は変わってしまうのかと、彼女は今日本にいるけれど、今のミャンマーを思った。
ミャンマーにいる人たちは勇猛に行動を起こしている。でも残念ながら非暴力で耐えても、軍はその手をゆるめようとはしていない。外にいるわたしたちに何ができる?
政治のはなしはデリケートだからしないほうがいい。でも友達が本当に困っていたら、なにか出来ることはないかと考える。デリケートなことだから触れないようにしよう、では「無関心」でいるのと同じ結果にならない?
夫とアメリカに旅行にいったとき、憧れだった国連に行ってきた。中を見学して、ここで世界中のトップが集まって話し合いで問題を解決するんだ、と身震いしたけど。今は失望しかない。
わたしにできること、今のミャンマーを知ること
ほかになにか出来ることはないだろうか