生まれて早々保育器に入るぴっぴ
産んだ経緯は覚えていないけど、生まれたその瞬間はわかるものである。そう、産声とともに。
しかしうちの子は泣かなかった。ドラマでは待合室のお父さんがオギャアオギャという声で産まれたことを悟るシーンがよくあるじゃないか。
でもそんな声は聞こえない。なんだかカエルを踏みつぶしたような、ふグェッという音が低く響いている。
にわかに慌ただしい。
体重計に乗せて体重を量り、血を拭き取られたら我が子を抱けると思っていたもんだからこの時間がひどく長く感じた。なになになになに
しばらくして私の胸元に彼はやってきた。弱々しくも泣いている。
小さな手に触れて、初めて産まれたんだぁという実感が持てた。
記念撮影をしてもらい夫と喜びを分かち合ったのもつかの間。早々に我が子は回収されてしまった。
どうやら私が陣痛室で叫びまくってたのが原因で羊水が濁ってしまい、ぴっぴに影響をおよぼしてしまったらしい。
ぴっぴは保育器に入れられ、体温調節をしながら様子を見ることになった。
私はえもいわれぬ不安に襲われながら、それでも産後ハイで目は冴え冴えしていた。
産後2時間は分娩室にいなくてはならないけど、さらに出血が多かったこともあり、明け方4時ごろに病室に戻った。
けいゆうの初産婦の入院日数は6日。私は15分間も1日カウントされた。
つまりこのあとあさ10時からオリエンテーションが始まって、赤ちゃんのお世話も母児同室で開始される。
寝なくては!
産後ハイのなか、猛烈な不安と戦いながら2時間くらい寝ることができた。
それもけいゆう病院という絶対的な信頼感があってだと思う。
年も歳なので、自分に何かあったらやだな、とか無痛分娩ができるからとかいう理由でけいゆう病院を選んだけど、我が子がどうにかなってしまうということは想像していなかった。
いや、もちろん障がいをもって産まれてくることや早産の可能性について話し合っていたけど、無事産まれてからのこうした事態は考えていなかった。
本当にこの病院にしてよかったと、12時間後にぴっぴと会えた時に改めて思った。
不安はあっても腹は減るものである。心配で喉も通らない、なんて言ってられない。
けいゆう病院の食事はとにかく米が多い
かれこれ前日の昼から何も食べていないのだ。
待ち遠しかった朝ごはんは、さすがの栄養バランスとボリュームだった。
とくに白米の量は高校生男子か!ってくらい盛られていて、残すのが嫌なので持参したふりかけで完食した。
デザートやヤクルトがついてくる、豪華なご飯。加えておやつまで。片付けもしなくていい。
体重計が気軽に乗れる場所に置いてあったが、びっくりした。
妊娠前から妊娠中にかけて11キロ増えたのに、産んだところで大して体重が減ってないのだ。
加えてこのおいしいご飯…。何しにきたんだ私は。
おっぱいは最初から出るものではない。ケアをしていなければなおさら
体重といえば、ぴっぴの体重は3500グラムオーバーだったのだが、それからあれよあれよと減っていくのだ。
そして、我々に課せられたミッションはこの減った体重を産まれた時の体重に戻し、さらに増やしてから退院するというものだった。
簡単そうに見えて、ちっともミルクは飲んでくれないし、飲まそうにも飲んでる最中に寝てしまうのだ。
私は予定日10日も早く産まれ、乳首ケアを万全にしてスタートを切ることができなかった。
乳首をモミモミして柔らかくすることで新生児の小さなお口でも吸いやすくすることができる。
私の乳首はかっちかちで、なおかつ陥没していた。
ぴっぴは男の子なので女子に比べると吸う力が強いとはいうものの、ちっとも吸ってくれない。
産まれた時は鬼瓦みたいな顔だったぴっぴは徐々にイケメンになっていき、穏やかな表情で眠っていたが、ことにおっぱいを吸う時は私に似て目を細める。
「けっ、こんなおっぱいしかねぇのかよ。しょぼいな!」by ぴっぴ
少し吸うと、顔を横に向けて遠い目をした。
私はそれを「絶望」と名付けた。ちょっと乳首をくわえても「絶望」してミルクを催促してくる。
助産師さんに教わりながら口に含ませるけれど吸ってくれないわ痛いわで精神を削られていった。
それは周りのお母さんも一緒で
みんな自分の部屋で授乳してると気持ちが萎えてくる&ミルクが足りないので、夜中のある一定の時間になると
どこからともなく透明のケースに入った我が子をガラガラと押し歩きながら授乳室に集まってきた。
隣は新生児を預かってくれる部屋があり、どうしても体調の悪い人や、今日産まれたての子を預かってくれた。
でも基本自分でなんとかしてねスタイルの母児同室である。みんな授乳室にてなやみを相談しあっていた。
とくに小さく産まれた子は大変である。
口も小さいので吸ってくれない。小さい子×おっぱいバンバン出るお母さんの組み合わせはとても辛そうだった。
出るのに飲んでくれなくてパンパンにおっぱいが張ってしまい、助産師さんにマッサージしてもらっていた。
それぞれのお母さんがいろんな悩みをもちながら、夜更けにラジオから流れるaikoの歌声に身を委ね…
パシフィコの隙間から昇る朝日を眺めていたあの日々は忘れられない。
ラノリンクリームは必須!
お見舞いの嬉しさとボロボロさと
そんな心身ともにボロボロのところに、新生児見たさに親戚・同僚がやってくる。
スッピンなのは毎度のことだがノーブラやっほいなのが非常に困った。
いや、ブラジャーは血流を悪くするし、パジャマとタオルは使い放題だったからラフな格好になってしまうよ否応無しに。
11月末なのでカーディガンを持っていったのも正解だった。
でもやっぱり見にきてくれるのは嬉しかった。
親戚はもとよりめっちゃ忙しいはずの同僚の方々(代表して先輩ママさんズ)が来てくれたが、近況を聞いたり久し振りに社会と繋がった感じがした。
出産祝いまで持参していただき、忙しいさなかたくさん時間を使わせてしまった。
親戚も、夫の叔父が大阪から出張のついでに顔を出してくれたり、義理のお母さんが花をいけてくれたり
うちの母が大量の差し入れ(毎日来てくれるので食べきれん!笑)を一緒に食べてってくれたり楽しく過ごすことができた。
体はボロボロだが、たくさんのおめでとうに突き動かされて頑張る、といった感じ。
立会いができるのなら、ぜひ夫には来てもらおう
そして何より夫が素晴らしかった。
まず、産む時にストローキャップ付ペットボトルを持ってきてくれた!(ナイス)
毎晩仕事終わりに病院に寄っては面会時間ギリギリまで話し相手をしてくれ
家に帰り、また翌朝には6時には家を出るという生活。
でも嫌な顔1つせず(まぁあなたの子であるんだから当たり前だけど)
いとおしむように我が子を抱く姿を見て、妊娠したあたり派手な喧嘩をしたことも忘れるところだった。
こうして居心地抜群のけいゆう病院優雅な入院も終わりを迎える。
退院前日にお祝い膳といって、上のレストランで夜景を見ながらフレンチをいただいた。
子どもはあずかってもらい、おそらく今後訪れることがないであろう二人きりのディナー。
お互いに感謝の気持ちを伝え合い、子どもの将来について夢膨らます素敵な時間だった。
総じていえばけいゆう病院はわたしにとってとてもよい病院だった。
待ち時間は長いけど、設備・人・立地どれをとっても素晴らしかった。
他の病院は知らないけど、もし二人目ができたらきっとけいゆうで産むだろう。
今後産もうか考えている人に。しかし高い。42万円の補助にプラス20万ちょっと
命に値段はつけられないが、払うからには思いっきりエンジョイしてほしいものだ。
これは我が家の1人目、ぴっぴのお話。2人目ぴーすけについてはまたの機会に。