小さな頃、どんな遊びが流行っただろう?
小学校が終わると、家に帰ってランドセルを投げ捨て、そのままても洗わずに家を飛び出す子どもであった
マンションの行き止まりに、ちょっとした空き地があって、そこでサッカーをする子もいれば
「丸ふみ」という、缶蹴りに似た遊びをよくしていた
ときどき、自転車に乗って少し遠出をして、日が暮れてお腹すいたー!と帰ってくる
そうでない時は、母が「そろそろ忍たま乱太郎の時間だよー」とか「ドラえもん始まるよ」と声をかけてくれた
あれは何時だったのか。18時か、19時か。とにかく今では考えられないくらい自由であった
翻って自分の子どもたちを眺めてみると、キッズという堅牢な守りのお城で、お絵描きやボードゲームをしながら過ごす
どちらがいいか悪いか、ということでなく単純に運動する時間は少なくなったなと思った
しかしながら我が子とは思えないほどに本が好きで調べ物が好きなぴっぴ(長男)は見事にその環境に適応し、満喫していた
というかね、私から生まれたにせよ違う人格で、運動大好きっ子だった私とは違うだろうな、と小さい頃から思わずにはいられないほどインドア派な我が子
きっと外遊びもあまり好きではないのだろう、と思っていた
だが、ここ2週間で私の予想を裏切る展開になっている。
私が時短勤務になって最初のうちは「さぁ何して過ごそうワクワク」していたのだが
何か習い事をするには短すぎるし、毎日カフェでお茶するのも勿体無いし、本を読むには長い。
それならば、早く迎えに行って外で遊ばせるか、と2人の子どもをピックアップして帰りに公園に寄った
するとね、もう2人とも公園で堰を切ったように走り出して、何十回と滑り台を滑って走り回っているのだよ
え、君たちそんなに外遊び好き?!
これはフルタイムの時には考えられない工程である
なぜなら、フルタイムの時はまるでストップウォッチで測っているかのように、帰りの出発からいただきます、お風呂、おやすみまで計算して動いていた
それを5分でも過ぎようものなら、「21時になっちゃうでしょ?!」と怒りを爆発させていた私である
本来子育てなど時間通りに行くわけがないというのは、育休中に嫌というほど実感させられていたのに
「仕事」という時間の区切りができたことで、子育てもかように我が意のままになると勘違いしてしまっていたのだった
子供達はいみじくも、そんな母の無駄な構想に沿って、健気にやることをこなし、就寝していた。でも、それは本心ではなかったのだと理解した。そうだよね、遊びたいよね…
それからというものの、2人を拾っては公園に寄り、思い思い遊ばせてから帰路に着くようになった
最初はなかなか帰りたがらなかったが、「あと10分!」と宣言したらスッパリ帰れるくらいになってきた
そうね、子どもって本来思い通りに動かないし、だから見てて楽しいのよね。
というかさ、もう子どもをずっと目を離さず見ていなきゃいけない年でもなくなったので
そのへんで楽しく遊んでいるのを眺めている、くらいのスタンスで良くない?(いやこれちっちゃい頃からそのスタンスだったわw)
そう思うとイライラも減るし、それを感じてか子どもたちも満足して帰る、という流れになってきた
自分が小さい頃、多少危険なことをしながらもこうして生きてますし
多少危険な目に遭いながらも生き抜く力も必要じゃない?(怪我はつきもの)
そういうわけで、ザックリ公園に解き放ち、それを視界の端に捉えつつ、私はベンチで好きなことをする
携帯で調べ物をしたり記事を読むのは目に良くないので、最近では本を読むことにしている
これは、自分の好きなことをするとともに、子どもがやらかしそうな時に先回りしてストップするのを防止する役目がある
思い出せば、私の母も、公園に私たちを連れてきたものの、母親同士のおしゃべりに夢中になっていて、たいしてこちらなど眺めていなかったと思う。ときどき手を振って生存を確認し、またおしゃべりに戻る
そして、ジャングルジムから落っこちたとか、転んで擦りむいたとかそういう報告があると、大袈裟に反応して、また大丈夫だとわかると会話に戻っていく
それくらいの雑さ。それでいいんじゃないかしら
とにかくこれで、帰宅してからテレビ2時間コースとは訣別した。まぁ1時間で済んでいるかな
しかもお腹が空くからご飯もよく食べるし、寝つきが良い。そりゃあんだけ走り回ってんだから疲れるわな
毎日1時間くらい、走り回ってから、ご飯食べて寝る
犠牲になるのは夕ご飯のクオリティくらいだ
この時短生活は期間限定だろうから、今年だけなんだろうけども、それはそれで私のモチベーションも維持される
やれるだけやってみよー