最近、保育園と小学校キッズにお迎えに行った後本屋に行くことがあった
まぁ普通に本屋に行きたいんだけど、夕飯の準備とか子どもがテレビ見たいとか言うて直帰していたんだけど
わたしの「本屋に行きたい熱」を優先させて、本屋に行ったのである(これ大事)
子どもたちは、最初の頃は「ねぇーママこれ読んでー」とか特に下の子はそういう傾向があったのだけど
いや、図書館に連れて行くときはやるけど、ママが本屋で読みたいor買いたい本があるから
悪いけど、自分で読むか絵だけの本で楽しんでてもらえます?って
そんな感じで放置。ソファーあるのでね、イオンの本屋。あとは30分とか時間を決めてそれぞれが好きに好きな本を読むのですよ。立ち読みばっかりは流石によろしくないと思うので、ときどーき良さそうな本があれば買ってあげるし
何より自分が欲しかった本が買えるという満たされ感。すっごい大事。
そして、ふと子育て本のところで見かけた本が「戦略的ほったらかし」というキーワードが入った本であった
「ほったらかしている」のだけど、「戦略的に」「あえて」ほったらかしているんですよってことで
ついつい子どものやることなすこと一言もの申したくなるわたしにとっては刺さるキーワードだったのです
そういや自分は三姉妹の真ん中ということもあってだいぶほったらかされてた気もするし
一方で「そこ親の許可必要?」というところで非常に過干渉だった親に育てられた。
姉とも「ほったらかされたよねー」という話で盛り上がりつつ「門限とか着る服とかすっごい干渉されたよね」ということで盛り上がる
自分の子育てを振り返ってみると、そんな自分の育った環境を踏襲しないように、しないようにとやってきているのだった
戦略的ほったらかしの本では、「自分のやりたい」気持ちを大事にするというのがあって
そりゃそうよね、用意された「やりたいでしょう?」ってことを消費するより
禁止されてでも「やってみたくてたまらんっ」っていうものだったらエネルギーの向かい方が違うわね
そして、我が子には禁止されてでもやりたくてたまらないというものが1つでも見つかれば、それは幸せなことだよね、とよく夫婦で話している
そりゃさ、小学校・中学校と公立で進んで
徒歩で行ける桜丘高校(公立)に進んで
チャリで行ける横浜国立大学(公立)に進んでくれたら学歴的には最高なんだろうが
親が喜ぶからって自分の好きなことを我慢して学歴だけゲットされても、その先の人生に責任取れないよ
先に死ぬからね、親は。
そう思うと、今できることは「早寝早起き朝ごはん」をリズムよく用意してあげることしかないよねー
ほったらかし、というのは全部自分でやれってことじゃなくて
やりたいこととか進む道をお膳立てせずとも自分で探し見つけるまでほったらかせ、っていうニュアンスなんだろうが
難しいっ!!笑
干渉したいっ!アドバイスしたいっ!!あわよくばレールに乗せたい!!!笑
という願望を、さも持ち合わせていないようにドーンと構えとけってことでしょう?
相談されたら「こういうのもあるよ」ってさりげなく選択の幅を広げてあげるくらいでしょう?
自分は「それ儲からないからやめときー」とか「向いてないよー」って思ってても、本人がやりたいと思うのなら全力で背中を押してあげるってことでしょう?
難しいっ!!!笑
過干渉かーちゃんにならないように、夫に手綱を握ってもらうようにしよう。w