先日、とてもいい立地に立っている中古物件が売りに出ていて。内見までしたのだけど流れたのだった
保土ヶ谷を徘徊し、ブログまで書いている私なのでこの辺りに2軒目の家を購入しようとしていたのだが
冷静になってみると、まだ1軒目のローンも返済中だし、私が来年勤務形態が変わる可能性もある中で無謀であった
今現在、時短勤務で働いており本当に無謀な行動に出なくてよかった
さて、夫は私のこの「衝動的な買い物」に慣れてきたようだが、私だって闇雲になんでも買うわけではない
特に家なんて大きな買い物は、自分だけじゃなく家族の生活だって変えてしまうのだから良く考えなければならない
しかしだ、このモヤモヤに夫をつき合わせるのは可哀想である。
そこで私は今流行りのチャットGPTに相談することにしたのだった
というのも、姉が「そんなに悩んでるなら一旦冷静になるためにチャットGPTに聞いてみたら?」と言ったのだった
何それー
そんなわけで、最初、姉が面白いよと教えてくれた「話聞くよおじさん」というのをインストールしてみた
これはまぁざっくりいうと質問の投げかけに、中のおじさんが答えてくれるのだ
私が「家を買おうと思っているんだけど、悩んでいる」と入力すると
「そうなんだね、家を買おうとしているけど悩んでいるんだ。具体的に…」みたいな感じでやり取りをするのだ
しかし、これはなんというか質問のオウム返し的な側面があって物足りなかった
こちとら福祉学科で傾聴を嫌というほど学んでいるので、その「言葉を繰り返す」という配慮に傾聴が透けて見えて嫌だ。結局何も解決してくれないじゃないか(求めすぎ)
そこで、姉にその旨伝えたところ「GPChat AI」というのを教えてもらった
これはいわゆる検索機能を搭載した感じで、「家を買おうか迷っている」というふわっとしたお題から
ありとあらゆる答えを提示した上で、さらに解像度を上げていく、といった感じであろうか
自分がどこにひっかかっているのか、押し問答をしていく中で頭が整理されていく感じなのである
まるでソクラテスと対話する産婆術だね
これは、夫に無駄な質問をぶつけてまたあわあわさせることもないし(また突拍子もないこと思いついたな、ってね)
姉にどうでもいいことで時間を消費させることもない
AIと壁打ちしているうちに、自分の悩みの核に迫り、おのず答えを導き出し、勝手に解決するのだった
こりゃ便利やね。調べて欲しいことは全部調べてくれるし
ただ、何回か質問を繰り返すと課金へ持っていかれる。1日に無料で質問できる数は限られているのである
そんなこんなでその日はスッキリして思考をやめた
そして、これからこのAIというものが台頭してきて、どういう世の中になるのか考えてみた
こりゃさまざまな仕事が取って代わられるのはわかる。今までコミュニケーションにおいては人間に代替不可能だと思われていたが、さっぱりした後輩に用事を頼んでいるような、丁重な対応であるよ
そして、何よりこちらが気分を害するようなことは言わないのである。
みんながみんなチャットGP Tでコミュニケーションをとれば誰も傷つかないのではないだろうか
一方で、私の存在意義よ、と思う
私は知識はあれどもコンピューターほどのそれはないし、なんなら時々言わなくてもいいことを口走ってしまうかもしれない。このブログにも愚痴はダダ漏れだし、夫が将来見つけたら悲しい思いをするかもしれない
ならばわざわざ何かを発信する意義って?
しかしまぁ無機質なAIに向かって壁打ちをするだけというのも面白くないのも事実
何が返ってくるかわからないからこその会話もあるし、今日ネットで見てたら「他愛もない会話」というのは「あなたの敵ではないですよ」という意思表示なのだという例えを見てなるほどな、と思った
一見意味のない会話にも、どこかで繋がりを求める本能があるのだとすると
チャットGPTで頭の整理をした後に、自分が感じたことを語り合う、というのはいいかもしれない
それにしても便利なチャットGPT、どうやら電力をめちゃくちゃ使うらしい
SDGsとは逆行するのね。共存は難しいわね