久しぶりに外に出て、ゆっくりカフェでもとお店に入った。
最近では、保険屋さんがカフェで説明などしているようだ
私の席のお向かいで、男性1人を相手に、年配女性と若い男性のタッグでお話をしていた
なんてことはない、がん保険の話であった
個人の話ではあるから、あんまり聞くのも良くないけど、こんなところで話をされてしまうと
否応なしに会話が耳に入ってきてしまう
過去に、聞いてはいけないような怪しげな勧誘をさまざまな場面で見てきた
例えば、高校生の頃、ウェンディーズで怪しげな勧誘を受ける若い女性と、熱心に口説く年配の女性
高校生の私でも明らかに怪しいとわかる「不幸」を食い物にした商法であった
また、そのウェンディーズでは男性を手玉に取った美しい女性の勧誘も目の当たりにした
かくして人は、「不安」を食い物にし、「美貌」で心を掴み契約をさせるものなのだ、と勉強になった(いや普通に定期試験の勉強しろよ)
大人になってそのような場面に遭遇することは滅多にないのだが、このお向かいに座っている男性たちは
とても和やかに話をしている
しかもその内容は詐欺めいたものではなく、真剣に健康についてお互いの身を案じ、真っ当な保険に加入する手続きのように思う
ほっと肩を撫で下ろすと共に、私には疑問があるのだった
一昨年、母を癌で亡くした。
そのことはこのブログでも結構生々しく書いているし、身近な人を癌でなくすというのはとても悲しいことである
しかしながら、癌というのは生活習慣病であるし、日本人の死因の上位を占めている
決して特別なことではなく、ありふれたものなのだと思う
そして、保険というものの本質は「現在の収入で対応することができない、滅多に起こることのない事態について、みんなで金を出し合い備えよう」というものだと思う
例えば、今私がこの瞬間に死んだら、夫が子どもたち2人を養っていかなければならない。
ワンオペレーションで家事と育児と仕事を回していくのは難しいだろう。ローンの返済も残っている
となると、私が死亡保険をかけて、子どもたちの養育費や生活費の補填をしておかなければならない
ある一方で正解だが、これは我が家では当てはまらない
なぜなら我が家には貯金があるから。そして夫の収入も途切れることはない。
ワンオペレーションは辛いだろうが、それをテイクアウトの夕飯で賄うか、シッターさんを雇って賄うか
家を売却して、実家に帰って義母に頼るか
まぁ色々な選択肢がある。(夫はゆらちゃんが死んだら後を追うとか言っていたが、とりあえず子どもを成人するまではよろしく頼む)
これに対して、あんまり想像したくないが、夫が急に亡くなってしまった場合。
夫が家事育児の多くを負担している我が家では、労働力だけでなく子どもたちのダメージも絶大だろう(特に次男)
しかしながら私には仕事があるし、家のローンがチャラになると思うとそんなに金銭的ダメージはない
私も夫は大好きだが、子どものことを思えば、少しの休養ののちまた働くだろう
これが癌で長らく病院通いするとなるとどうだろう。
初期の癌なら治療しながら働くことになるだろう
働いていれば、病気休暇や有給で休んでも金銭が発生する
いよいよになった時も、標準治療なら健康保険内で収まるだろう
最近、経済界の人が次々と癌に罹患したことを発表している
ショックだし、山崎元さんなどお亡くなりになった人もいるけれど
ある意味、見送るまで、タイムリミットがあるのが癌なんだと実感している
ある日突然亡くなるとの違って、心の整理や身辺整理に猶予がある
もちろん、子どもが小さいうちに癌になってしまったなら、子どもたちの行く末や
将来成長した姿を見られないことにショックを受けると思うが
それなりに年齢がいっていたら、延命措置をしてベッドで動けない状態で生きているよりも
より、健康な状態で、最後にやりたいことをやり切って死にたいものだ
胃ろうとか、点滴とかで食べたいものが食べられないくらいなら
死ぬほどドーナツ食べて死にたい(いや、そんなドーナツ好きか?私)
そんなことをふと思うのである
そりゃ、子どもたちのためにお金は残しておいてあげたいけど
自分のために高額な医療費をかけて、何も残らなかった、はよくないなと思うけど
楽しい思い出をたくさん残してあげたほうがよっぽどいいような気もするんだよなぁ
何が言いたいかというと、多分いずれみんな癌にはなる。遅かれ早かれ
そしてその時の医療費は、貯金がある程度貯まればなんとかなる
そこまでは確かに保険は必要だけど
その保険料を払うために、健康的な食事とか生活習慣を削るのは本末転倒だと思う
ま、冒頭のカフェの人たちは
もしかしたら相続対策だったりするのかもしれない
死んだ後にお金を残すよりも、生きている間に寂しくないような思い出を残すためにお金は使いたい
保険は不要派だなぁ