とうとう祖母が息を引き取りました
ここ数日は、仕事を休んだり、早退してはお見舞いに行ったり、お見舞いに行ってから仕事に行ったり
母のこともあったので、ああもうすぐ亡くなってしまうんだなというのは
過ごしているとわかるもので、手足にチアノーゼが出た次の日の夜中に
施設の職員さんが巡回に来た時にもう息をしていなかったということ
97歳。大往生だし、仕方がないことだとわかっていても悲しい。
それでも私たちは前に進んで行かなければならないわけで
この一年の間に、母が亡くなって祖母が亡くなって
なんだろうね。ほんと、重なるなぁと思っていたら
女の厄年、30代って厄年いっぱいあるんだねぇ
33歳と37歳、前厄・本厄・後厄合わせたらほぼ厄年やん
しかしまぁなるほど、そういうものなのですね
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と言っていたのは確か鴨長明で
常に変わらないものなど何もないのですよ
これを「無常観」と言いますがね
頭でわかっちゃいるものの、気持ちがついていかないところが大きい。
姉の衝撃のデカさは計り知れなくて、仕事二日休んでたね
私はどっちかっていうと仕事してた方が気が紛れて良いです
ぼうっとする時間に、いろいろ考えてしまうし
97歳の祖母が亡くなる過程と、60歳の母が亡くなる過程がほぼ同じだったことも
なんだか母のことを強烈に思い出してしまってそれも辛いのだった
。
。
子どもたちも、結構立て続けに「ばあば」が死んでしまったことに恐怖を感じている
「ママはまだ死なない?ぴっぴやぴーすけは1人にならない?」と聞いてくる
「大丈夫だよ、あと30年は生きると思うから」
「30年ってどれくらい?ぴっぴはその時中学生?」
「その頃にはぴっぴはおじさんだから、ママやパパはおばあさんやおじいさんになってるから大丈夫だよ」
と答えた
どうだろう。今の私のとしに、ぴっぴやぴーすけが親と別れることになったら
ちゃんと向き合えるのかしら(こんな甘えん坊でちゃんと立ち直れるかしら)
いや、いいおじさんがママが恋しくて泣いているのを想像するとなかなかシュールですわ
別れが辛くならないように、ちょっといじわるばあさんみたいになっとこうかしら。
そんなぴっぴは、私が唱えていた文言をここ最近よく理解している
「形あるもの、いつか壊れる」
ぴーすけがぴっぴの作ったものを破壊した時に、ぴーすけを叱ろうとした時、ふと止められた
「ママ、『形あるもの、いつか壊れる』だよ」
ものすごいドヤ顔で言われた
6歳の無常観
見習わなくっちゃなぁ