毎週、週末に行っていた母のお見舞い。
段々とモルヒネの量が多くなってきた。1日に10回とかフラッシュをすると、痛みは和らぐが起きていられる時間が短くなってきた。
思えば「余命1、2ヶ月」と言われて半年以上が経った。まことに人の命というのは不思議で、「夏までだろう」と市民病院の先生は言っていたが、一般的な夏、8月は終わった。まだ母は生きている。
ここまで長生きすると逆にこっちは冷静だ。いつかやってくるだろうXデーに向けて心の準備はできている。
そう考えると、「がん」という病気は残された人にいろいろな準備をさせてくれる。
心の準備はもとより、数年ぶりの仕事に関しても「いつ、何が起きても大丈夫なように」と早め早めの準備をさせてくれる。まぁこれは夫がいてこその話なのだけど。
この時間が永遠に続くわけではないから、ゆるゆると準備して
後悔のないように
そういうわけで、三姉妹の真ん中である私は、またも画策するわけ。もう意識もだんだんとなくなってきた母にお見舞いに行くのは私と妹。最後に行っとかなくていいのかい、姉よ。
伯母からのすすめもあって、三姉妹でお見舞いに行く段取りとなった。
意外なのは姉もスッと同意したこと。あんなに嫌がっていたのになー。ホスピスはちょうど3人入れるので、3人で日程を調整して訪問することにした。
ここ最近のお見舞いは、母に一方的に話していた「おはなし」もなくなった。話を聞くのもしんどいらしい。だから、ただ横に座って30〜40分を過ごす。人がいる気配だけでいいらしい。
部屋に入る時と、帰る時に声をかける。機嫌がいいと帰りに「ありがとう」とか声をかけられるが、たいていは眠りの中。
たまたまこの前はお医者さんの訪問に出くわした。「市民病院に戻れるようにプッシュしておいたよ」と声をかけてくれたのに対して「よろしく頼みますよ」と母。しっかり応答していたものの、その後はずっと寝ていた。
テレビを見るのもしんどくて、もう携帯は見ていない。
静かな病室と、時計の針が進む音。
穏やかな時間ではあるけれど、ちょっと行くのが憂うつだったりする。だから東戸塚に行くと思いっきり買い物して帰ってしまうのだが。
3姉妹お見舞いの日。みんなで現地集合、意識があるのかないのかわからないが3人で乗り込んで行った。その前の週、姉と来るよと予告すると「ブラボー」と言っていた母。
姉が訪問しても最初は気づかなかったが、我々3人いることに気づいてから笑顔を見せていた。「小さな声で喋ってて」というので遠慮なく喋っていたが、途中中華街の手相屋の話の途中で「そのなの当たらない」と会話に入ってきた
それ以降はいつものように夢の中でゴニョゴニョと誰かと話しているのだけど、これは相当に機嫌が良い、嬉しかったんだなぁと思った。これで、いつ何が起こってももう大丈夫と思ったのだった。
帰り道はやっぱりオーケーストアで爆買いして、3人も大人がいるので分担して持ち帰り、ちょっとお茶して帰った。
2月がとっても劇的だったから、もっと劇的な、壮絶な感じかと身構えていた
だけど意外に緩やかで、穏やかで、ちゃんと悲しみに向き合える時間があって、案外日常が流れていくのは
仕事で紛れているのといろんな人のおかげなんだなぁと思う今日この頃