仕事が始まって、上司と面談があったりして。ここんところのいろんなことを、ざっくばらんに話したりした。
久しぶりの復職に加えて、異動、母の介護と土日にお見舞いの通院と、けっこう走り抜けてきた。
上司からは、「とても久しぶりの復帰とは思えない」との言葉をちょうだいしたけど、兎にも角にも、これは夫の育休あっての所業。私だってそこんところはわかっているのだ。
仕事は好きだけど、全てをささげるもんじゃない、と思っていたのだが、結局全てを仕事に捧げることになっている。
それは家で夫が全般的にサポートしてくれているからなわけで。いわゆる専業主婦の奥さんがいるお父さんと同じような働き方をしているだけなのである。
だけどまぁ、カンを取り戻しプライベートも仕事もうまく回り始めるといいなぁと思っている。(自分がやらなきゃなんだけど)
さて。そんな夫には感謝することしかないのだけど、夫にふと「もし人生60年しかないのだとしたら、今何したい!って思う?」というような質問をした。
これはまぁ母の人生を振り返ってみたときに、まさか59歳でガンになってあっという間に末期になって60歳で余命いくばくになると思わなかっただろうな、というのがあって。
なんとなく、自分の人生80歳くらいまであるから、65の定年までは働くのだと思っていたけど、そうじゃなかったとしたら、もしあと数年ってことがあったとして、いつでも後悔のない人生を歩みたいと思うようになったのだった。
この質問に対して、夫の返答は「うーん、アメリカに住みたいかな」というものであった。
この答え、前も聞いたことあるな
そうだ、結婚する前になんとなく夢を聞いたときにそんなこと言ってたっけ。そしてあいも変わらず同じ夢を持っている夫。
まぁ、NBA見たいだけなんでしょうが。
そして、色々と家族のためにやっている夫の姿を見て、ぜひともその夢を叶えてやりたいと思う私なのだった。いや、アメリカ実は嫌いなんだけどね。シッコというマイケルムーアの映画を観て、皆保険制度はないわ、銃社会だわ恐ろしい印象しかなかったアメリカ。
でもまぁそれも含めていろんな世界を経験して、この偏見を払拭しようというのも面白いかもしれない。
人生行きあたりばったり
それにしたって2人の子どもがいる親なので、それに付き合わせるのもなんだから、とりあえずザックリとした計画を立てることにした。
アメリカに行くと言っても親戚がいたり仕事にあてがあるわけではないので、今すぐという訳にはいかない。
とにかく5年、しっかり働いて貯金をすること。
特に来年からは念願のダブルインカムだから馬車馬のように働く〜
その間にできることといえば、英語の勉強とアメリカの調査である。一口にアメリカと言っても日本の25倍の面積。どこに住むかで変わってくる。しかも今円安で物価も上昇中だから厳しさを増しそう。
徹底的に調べて、どこの地域がいいのか、ビザはどうするのか、仕事はどうするのか5年のうちにかんがえなければな。
そんでもって、調べていくうちに「グリーンカード」というアメリカの永住権はいろんな条件で取るのが難しいんだけど、ガラガラポンのくじ引きで年に一回申請できるというのも知った。本当に訳のわからない国、アメリカ。
多様性のために移民を受け入れているらしい。そういうわけで、コレに当たると無条件でアメリカの永住権がもらえるんだと。そうすると、就労も可。へぇえーー
ま、確率はとっても低いんだけど。日本企業のアメリカ赴任を待つとか、学生ビザでインターンしてそのままアメリカで就職するとか、いろんな道の一つにこのくじ引き当選を待つ、というのを加えるのも面白い。
とにかくそういう申請くらい英語でできないようではアメリカ含め海外で暮らすことなど難しいのだろうから、10月にあると言われているそのグリーンカード申請を夫に任せることにした。結果はまた追って報告するとします。
それにしたって、30代も後半になって「新しい人生」について考える時が来るとはな。仕事を10年以上続けて、このままこうやって子育てに追われながら定年まで働いて、ちょっと落ち着いたら海外旅行でもしようと考えていたのに、ある意味刺激的な人生である。(まだ何もしていないが)
こうやってちょっと先の未来を想像していろいろ調べたりするワクワク感。5年後どうなっていたいか、どんな力をつけておきたいか、どれくらいお金を貯めようかそんなことを想像しながら日々を過ごす、というのが楽しい。
その頃ぴっぴは10歳、ぴーすけは7歳。義両親の介護などを考えるとここらへんが好きなことするのの境界線な気もするし(介護しろと言われているわけではないが)
今回のようなパンデミックで5年後はもっと大変かもしれないけど
楽しい40代になるといいなー