母のがん

東戸塚のホスピス

投稿日:2022年7月3日 更新日:

横浜市民病院の緩和ケア病棟から、東戸塚のホスピスに転院して数週間が過ぎた。

まぁここに至るまではすったもんだがありまして。

下書き保存していた内容はとてもじゃないけどアップできないような、私の葛藤のあとが生々しく書かれていて、当時を振り返るだけでも頭痛がしそうなんだけど

とにかく仕事が忙しいのをいいことに、決定したホスピス。

余命1ヶ月と言われてから、母の驚異の生命力で4、5か月は生きてるんだね。ほんと余命なんてあてにならんし、あとはその人次第なんだな。

そんな母の今の生きる目標は、「市民病院の緩和ケア病棟に戻る」ということ。

横浜市民病院、「市営」という側面があって元気な患者はいつまでもいられない。1ヶ月の入院ののち、面談→状況が良ければ次の住処を探さなければならない。

自宅介護は荷が重い、結局住み慣れた東戸塚に戻る形で駅から5分のホスピスに転院したのだった。しかし母に言わせりゃ「一時退院」

1、2週間ホスピスで過ごせば、改めて緩和ケア病棟に入院し直せると聞いてここを選んだのだった。通常ホスピスといえば終の住処だ。私たち家族はそういうこともあるだろうな、と覚悟を決めていた。

毎週土日は、私がお見舞いに行き、平日東戸塚で仕事をしている妹がシフトの合間をぬってお見舞いに行く。どちらも行けない時は叔母が行く、というルーティーン。段々と足が細くなり、力強さも無くなってきたが母はまだまだ元気である。

こちらのホスピスの口コミ、あんまり良くなくて心配だったけど、スタッフの方は明るく、母への声かけも優しくて安心した。何より駅から近いので通いやすいし、帰りはOKストアで買い物して帰れる。

そして何より子どもは10分という制限があるものの、孫たちに会えるのがとても嬉しそうであった。

何回か連れて行ったが、ぴーすけは母の顔をペタペタ触り、ぴっぴは保育園のことをお話しした。あんまり話せない母は、前と違ってゆっくりちゃんと話を聞いてあげている。そういう姿を見ると、連れてきてよかったな、と思う。

ぴーすけは先日の誕生日、母が用意してくれた(と言っても叔母が代わりに買ってきてくれた)靴をプレゼントされていた。その場で履いて喜ぶぴーすけを眺めている。こんな時間が、短くはあるけど続けばいいなぁと思っていた。

しかし、次の週からもう子どもたちは呼ばなくていいと言う。小さな子どもたちの溢れる「気」が疲れてしまうのだ。子どもは家で夫に預け、私は相変わらず足に保湿剤を塗りながら、仕事であった話をポツリぽつりと話すのだった。

正直、土日に行くのは辛い。

平日は仕事の忙しさに忘れてしまうけれど、一対一で座っていると、その痩せた姿に「死」を感じずにはいられない。でも、母にとっては唯一の人と話せる楽しみなのだ。その間はいろんなことが忘れられるのかもしれない。行かなかった日に何か起こったら後悔が残るかもしれない

そんな気持ちで週末を迎えている。

子どもは本当に癒しよな

さて、そんなお見舞いのルーティーンに、まさかの姉が一度だけ参加した。母が死ぬまでもう会わないだろうな、と思っていたので意外である。なんの心境の変化?と聞いてみたら

「妹たちに嫌われたくないから」とのこと

妹たちのお見舞いルーティーンが大変なのに、おねーちゃんは何にもしてくれなかった!と後々姉妹で険悪になりたくないとのこと

そんなの思うかーい

私だって、母が大好きでお見舞いに行っているわけじゃないから。いろいろあった家族だけど、死にゆく人に思うのは恨みつらみではなく、60歳という若さで死と向き合わなければならないことへの哀しさと

今ここに自分があるのはもとをたどればあなたのおかげ、という感謝の気持ちだけ

その分だけは、自分が行かないと後悔しそうだから来てるだけ

姉は姉のペースで向き合えばいいと思う。

でも、終わりの見えない日々にうまくバランスを取らないと疲れるなぁ。あぁ夏バテ。



-母のがん

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

嫌な流れは重なるもので、母の具合が悪くなってきました

後ろ向きなブログを書いていたその日。自分のミスで職場に多大なる迷惑をかけてしまった その尻拭いをしてくれた同僚と共にあと始末に追われていた最中、妹からラインが来ていたのをすっかり忘れてしまっていた。 …

腎ろうを造設して絶好調のかーちゃん。

夜中に3回嘔吐して、死にかけていたかーちゃん。 手術は無事に成功。というか、処置? 今なら言えるけど、「家族の人を呼んで説明を受けてください」と言われていて、私が呼び出されたとき(いつもついていく妹で …

母ががん in 横浜市民病院

比較的近所に住んんでいる母。病院に行くにあたってぴーすけを見ててもらおうとメールすると断られた。 まぁ急だしな、と思っていたが、1ヶ月先の通院の予定も「無理だな」と断られた。 年中テニスしている人であ …

市民病院からの電話

泣きすぎて目がボヨーんだ。まだ母は死んでいない。市民病院から電話があった。 2月3日節分。本当だったら保育園で節分をやるはずだった。でも自主休園中なので家で鬼のお面を作った。 夫が、仕事を早く切り上げ …

コロナ禍の横浜市民病院の面会

その後の家族 13時間の手術を終え、ICUに一時移った母。本気でやばいと思ったその日、23時半に家に戻った。 それから1週間も連絡がないままだった。ICUから一般病棟に戻った連絡はあったものの、音信不 …