母のがん

がん再発

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何度も書こうと思ったけど、考えをまとめられないので書きながらまとめていくことにしよう。

先日、腫瘍マーカーであるCA -19-9の結果が悪かった母。PET検査など詳細を突き止めるために検査祭りの日程が組まれた。

私は、母は心配であるが、それ以上にがんが進行した時に、同居する妹の精神面や生活面での負担が心配であった。まだ20代の妹だ。

ゆえに検査結果が出る前に、今後のことについて話をしたのだった。

しかし母はブチギレ。

「そんな話をしたかったわけじゃない」と顔も見たくないと帰っていったのだった。結果、妹を案じたのに逆効果。検査結果も妹が一緒に聞きにいき、それこそ介護のルーティーンからそもそも私は戦力外通告されたのだった。

これ、前回までのお話。

こういう時は何をいっても無駄。頭に血が昇ってるし感情的になる。(お互いに)

何かあればいつでもでていこうの精神でとりあえず引っ込んだのだった。一応、市民病院の先生には裏で一言言ってもらうように画策したが。妹に市民病院の先生、訪問看護とかヘルパーさんの話ってしてくれたかい?と聞いたら全くその話はなかったそうだ。

あーうーそうかー。まぁ忙しいしね。たくさんいる患者さんの結果を伝えるだけでも(しかも次の治療のことを説明してたわけだし)精一杯だよね…(チーン)

さて検査結果はやはり悪いものであった。妹から的を得ないメールのやりとりが続いたが、「腹膜播種」ということがわかった…

ふくまくはしゅ、と読むらしい。

簡単にいうと、臓器を包む膜にフワーッとたねをまいたようにガンがひろがっているらしい。

ヤバいやつじゃないか。

それを聞いてもなお、母は妹のバイトのシフトを調整して乗り切ろうとしているらしい。はぁ。

私は妹からちょいちょい様子を聞きながら、こちらから母に色々提案するのはやめた。前にも書いたけれど、サポートはできても最後に決めるのは自分であるし、自分が変えようと思って行動を変えないと何も変わらない。って言うかね、既読しないのよ。メール無視無視。

そんなわけで、まぁほっといたわけだ。私はその間、いろいろ考えた。

もちろん病気のことや、この先具体的に何ができるのか。そして始まる仕事のこと。母からは「あなたはカウントしてない」と言われたけど、実際には動かざるをえないことも重々承知。こっちはこっちで職場に事情は話して復帰前に出来るだけ配慮してもらえるよう交渉中。

でも考えたところでいいこともなく、連日寝るのが2時とか3時になって不健康。

方々に相談した。地域ケアプラのケアマネさんには以前相談に行ったが、引っ越してきて「保土ヶ谷区民」にならないと具体的にできることはないと言われた。(それでも十分話を聞いてくれてずいぶん気が楽になった)

同じように親がガンになっているママ友にも相談した。普通に愚痴を聞いてくれて、自分の時の話や知ってる制度も教えてもらった。

イコットハウスの先生とか、義母とか歳が母に近い人にも聞いた。それをきっかけに色んな話ができた。

抱え込むと病みそうなので、吐き出してスッキリした。そして、自分よがりの考え方も良くないので、色んな人の意見を聞くのは常々していることだけど、純粋にいろんな考え方やアドバイスをもらって考えがスッキリまとまった。基本的には私のスタンスはこのままいくだろう。

もっとお母さんに寄り添ったほうがいいよ、とかね。お母さん怖いんだと思うよってそれは本当にその通りで。私は見せかけは優しいけど、母には結構当たりが強いんだということも自覚した。うん、まぁ実母だしね。

きっと私自身もゆらゆら揺れているんだろう。どうあるのが1番いいのか。

でもまぁいろんな角度から客観的に見ようと思っても、結局本人じゃないから。まぁ、後は待つしかないよなぁとひたすらほっといた。

まぁそんな母にもちょっと心境の変化があったのか、ずっと既読無視していたLINEに長文が送られてきた。

妹から聞いてはいたが、腹膜播種とわかった後、前回とは違う抗がん剤治療が始まるはずであった。しかし、腎臓の値が悪くその抗がん剤治療は断念。入院したものの、次の日退院予定であった。

母からのメールでは

退院予定であったが、痛みが強く医療用麻薬で調整するために入院を数日延ばすことに。今後は、胃がんに適用されていた「キイトルーダ」という抗がん剤と「レンビマ」という経口薬を使って治療をする方向で動いていることがズラーーっと書いてあった。

そうなんだ、という気持ちと今まで「もう顔も見たくない」からのこのメールなんだろう…。

え、一緒に病院にきて欲しいの?それとも病状を把握しておいて欲しいのか?仲直りしたいってやつ?と何ともとらえようがないので一言二言返しているうちに、いつも通りの「ぴっぴとぴーすけの写メ送って!」に変わってきた。

いつもそう。謝るとか、この前の話の続きなどは一切なく。こちらの都合も全く考慮されないで何事もなかったかのように次の話題にいく常套手段であるが、まぁ元気そうでよかった。そういう人だからしょうがないよねぇ。いちいち腹を立てる気もせんですよ。

本当はこれからどうするか、マジで喫緊の課題ではあるのだけど、妹とは電話でやりとりし「とにかく訪問看護の人に週に1回きてもらう方向で動こう!」と同意した。

これから元気そうに見えても、いつガンが他の臓器に転移したり圧迫したり具合が悪くなってもおかしくないだろう。

ぴっぴの保育園ではコロナで休園にはなっていないが、近隣の保育園ではちらりほらりと休園しているところを聞く。我が家では育休中利用なのでしばらく自主休園することにした。うつしてもうつされても当たり前だよ保育園は。

そういう時に2人の子どもを引き連れて私が駆けつけられるのか。コロナで医療逼迫している中、すぐに市民病院に入院はできないかも知れない。それも考えて、どーするもんなのか。ほんとカーチャン考えてくれんかね。

それともみんなが言うように「案外お母さん考えているかもよ」なのかしら。あんまり期待していい結果なかったからなぁ。

とにかく妹がどうしたいのかがわかり、母もきっとこれまで通り先生だけを信じて治療をしていくのだろうから、妹をサポートしつつ、母から要請がきたら動く事にした。一応「病院について行こうか?」って聞いたら「いろんな科をまわって忙しいから大丈夫」時たのでよしとした。

一周回って結局何もしていないのだけど、やっぱり心配だから少しでも長く、痛くないように。そう願ってはいる。はぁほんと吐き出すだけのブログやな。



-母のがん

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