月9の「ミステリという勿れ」という、漫画が原作のドラマ。シーモアで立ち読みをしていて、続きが気になっていたので、ドラマ化は大賛成である。
ただ、巷で議論が巻き起こっているように、私も菅田将暉より渡部豪太の方がイメージに合っていた。
渡部豪太の他番組でカフェ巡りをする「ふるカフェ系ハルさんの休日」のハルさんが、「ミステリ」の主人公「整くん」そのもので、勝手に脳内ドラマを作り上げていたからなぁ。ただね、菅田将暉も好き。撮り溜めてCM飛ばして見ますよ。
ミステリーといえば、ここ数日色々と推察するしかできないような出来事があった。
それは友人のあるメールから始まる。
広く浅い交友関係の私でも、結構長く深く付き合う友人のグループがあった。そこは定期的に話題があって盛り上がり、年に一度は必ず近況がわかる友人たちのグループである。
最近は出産ラッシュもあり、また賑わっていた。その中の1人、非常に優しく気遣いのできる友人が、グループ内の他の友人と連絡がつかないという。「ゆらさんのところは年賀状きた?」と聞かれたのだった。
そういえば来てないな。というか、うっかり?そいつには年賀状出しそびれたな。(だから忘れていた)
そういえば、いつもグループLINEで盛り上がる時には、一言言わずにわいられないタチなのに、入ってきてないなぁ。
そう返事すると、どうやら彼女は1週間も連絡が取れないでいるのだった。マメな奴なのに…
それじゃあ私からもメッセージを送ってみるよ、と違う角度から(仕事がらみ)で連絡をしてみた。が、既読はつかない。
ここでやめておけばいいのだが、元来おせっかい&なんだか気になるなーという性格で、こうなると生きているのかも怪しい。縁起でもないが、コロナで重症とか実は…なんて展開だったらどうしよう。その可能性を消そうと、自宅に電話したのだった。彼は不在であった。
次の日、折り返しの電話があった。結果的に生きていた。連絡もついた。しかしながら、声は憔悴しきっていた。
何があったかは言わなくていい、と私は言った。そして、本来聞こうと思っていた仕事がらみの質問には真摯に答えてくれた。厚く礼を言って電話を切った。
もやもやはする。でも、身近な人に何かがあったのかもしれない。
これ以上は聞かないのが礼儀なのであろう。
きっと電話をすべきではなかったのだ。
何かあればいつでも力になるとは伝えたが、今は1人で居たい時なのだろう。
でもまぁ不器用なのも知っている。1人で抱え込んで結構厄介なところまでいってしまうところがあるのも。だからこそ、最初に連絡を取った友人も「心配」していたのだろう。学生の頃と違って、いい大人だから放っておけばいいものを、あらゆる可能性を考えていろんな方法で安否を確認したのだ。
人間関係の難しさは、「正解」がないところだと思う。きっといわゆる一般回答でいえば「そっとしておく」のが正解で、ここは向こうが何か言いたくなるまで待つか、それともこのままフェードアウトしても致し方なしと放っておくのが良いのだろう。一方でそれでいいのかとも思う。
何があったか聞かなかったのだから、そこを考えてもしょうがないのだが。
私も母のことはここで書くことで大分自分の気持ちを整理できている。本来だったらカウンセリングとか、もっとちゃんと大人に相談したい案件ではあるが、「誰でもない誰か」に吐き出すことで、身近な人に不安をぶつけ散らかさずに済んでいる。(親友が唯一このブログを知っているので彼女の負担にならないかは心配だが…)
抱え込んで、それを時間が解決してくれるのを待っているのか。きちんと自分の気持ちを吐き出せる人がいるのだろうか。
いつもそういうのを聞いてくれる人に何かあったとしたら大丈夫なのだろうか。
ミステリーばりに何もわからず、手をこまねいているだけである。
それでもまた思い出す。それは「誰の課題なのか」を。抱え込んで落ち込んだとして、当の本人がそれを「自分の課題」だと思って行動を変えないと、周りは何もできない。
水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。
それでも、何かあればいつでもサポートができるように。私、そんなキャパたくさんないですけどね!
心配していた友人だって、本来自分のことで精一杯ですけどね!そして私の相談に乗ってくれた親友だって、自分のことで精一杯な時期ですけどね!!
自分のことを差し置いて心配してくれる友人がいるだけ幸せな奴である。