昨日はぴっぴを保育園に送った後、銀行の記帳祭りをしてから川辺公園へ。
イチョウの木が葉を落として、一面黄色い絨毯に。
なかなかの名所となっておりました。
ぴーすけは急にいろいろできるようになってしまい、一人で滑り台を降りてくる。
ヒヤヒヤしながら後ろをついていく。
ふと、今日は子どもが多いなと気づく。
いや、いつも保育園児が来る時間帯ではあるのだけど、そうじゃないちょっと大きめの、帽子をかぶってない子どもたち。
ぴっぴと同じくらいだ。幼稚園の子達かな。でもなんでだろう。
と思っていたら、そっか!この土曜日はいろんな幼稚園・保育園でおゆうぎ会やら発表会があったと聞いている。
ゆえに幼稚園は振替なのね。
保育園はいつも通り登園なので先生たち大変だなー
そうやって見回すと、さすがに幼稚園児なのでお母さんたちがいるのよね。
そして、待ち合わせをしていたのか「あ!」という顔をして手を振りあい合流してたりする姿を見ていた。
近所で気の合うママ友ができると、こうやって子どもを遊ばせつつ喋れて楽だな〜。(一人でつきっきりで子どもと相手するより)
と思う反面、何かと幼稚園のママ友で集まるようになるのは大変そうだなーとも思う。
なんとも相反する考え方なのだけど、まんま自分のちょっとあまのじゃくな性格を反映しているなぁとしみじみ思う。
自分で言うのもアレですが、友達たくさんいます。
賛否両論ありますが、目が合えばお友達のノリで話しかけ、たいてい友達になり、それなりに遊んだりお茶したりする。
これは学生の頃からの性格。というか、転校して身につけた処世術とでも言えるかもしれないが
自分がわからないことは友達に聞けばいいし(何度友人に助けられたか)
いろんな友達がいるといろんな考え方や情報が入ってきて自分も新しい世界が知れてまことに楽しい。
自分の人生は一回しかないけれど、友達の話を聞いてそんな世界もあるんだな、すげーなと思うことが多くやっぱりそれは楽しい。
だから広くあさーーーーーーく友達づくりはする。門戸開放、来るもの拒まず!
そんな軽いノリで高校時代は学年トップでもなんでもないのに、友達多い枠?で卒業生代表生徒として答辞読みました。いいのか桜丘
しかし、その中でずーっと続いているお友達は僅かである。
それは学校が変わるとか、就職するとか、結婚するとかいろんなステージを経て
それでも続いている友達ということで言えば(定期的に会っている)3人とかか。
すくねぇ!!
でも自分の考えていることとか、嬉しかったこととか、悩みとか、そういうのを語れる友達はそれで十分な気がする。
さて、そこで悩ましいのが新しくできた友達である。
いろんな場面でご縁があって、友達になり
いっときはよく遊んだりするのだけど、まぁ忙しくなったり環境が変わったりで疎遠になっちゃったりする
でも、嫌いになったとか気が合わなくなったわけではなく、純粋に「自分の使える時間」は決まっているので
誰といつ遊ぶのかということになると、どうしても間が開いちゃったりするんだなー
仲のよい友達ですら、うおーめっちゃ久しぶりでゴメン!なのに
これが気の合わないお母さんとか、ちょっとヒエラルキーがあって大事にしてくれない集団とか
そういうのに私の貴重な時間は使えないっす。
なんて思うのは性格悪いですかね。w
前は、誰とでも等しく仲良くするのが良いことだと思っていたけれど(その方が円滑に回る)
人生の使える時間というのは思ったより短い。
できれば好きな人と好きなことに使う時間で溢れていたら幸せだわね
言うのは簡単ですけども。
仕事始まったらそうも言ってられないのかなーぬるいこと言ってんなーって思われるかなー
そう言いながらも、最近はあのママと会えてないな、ちょっと元気かしらとコロナの中思ってしまう。
コロナ禍だから誘いにくいのもあるけれど、会いたい時に「明日ひま?」で会える気軽さが、近所に住んでいるママ友の良さだと思う
これが遠方の旧友だとそうもいかない
だから、お互いそれくらいのプレッシャーで(?)
久しぶりに会えた時はその時間を大切にして、それからまた家で頑張る活力にしたいなぁ
今日は寒いけど、蕎麦食べにいくぞーー