先週、今後の治療について先生に話を聞きにいったものの、オペが長引いて待ったものの説明はナシに。
うちの母のようにお腹あけたら悪化してて長引くこともあるでしょう。結局リスケして火曜になった。まぁ13時台の予定が15時になりましたが。
治療のこと、家のこと、考えることは盛りだくさんだけども。今は本人が一番ドキドキしてるんだってことを肝に銘じる。
いつも、わたしなりに相手の、逆の立場だったらと考えることにしている。タイ人のお母さんだったら、自分が単身タイに嫁いだらとか。ミャンマー人のお母さんだったら、自分の国が大変なことになってたらとか。そう思うとたいていなんとか力になりたいと思うものだ。
でもなんだろう。一番優しくしなきゃいかん家族なのにすごくイライラしてしまうこともあって。こんなに大変な中いろいろ準備したのに、とかこれだけやったのにとか。いやな気持ちが噴出してしまうのよね。
わたしも母親に甘えがあるのだろう。母は一人で子育てしてきたわけで、あんまり弱音を吐くところもなかったと思う。しょせん我々は子供であって母と同じレベルでは話は聞けない。
だけど、逆の立場だったら今は何にだって頼りたいだろうよ。そんな風に自分を整えてから面談に臨む。と、かーちゃんのうんちストマが漏れていったん退場。その間に先生からお呼びがかかり、待たせたらよくないと先に行くよう促された。
先生が来てからはこんな話をした。
子宮頸がんだと思われていたものが、病理検査の結果微妙なところだが子宮体がんだったということ。
そして子宮体がんであれば、膀胱に転移もなかったのでステージ3になるということ。
目に見える手術でがんは取り切ったが、見えないものや再発リスクが高いため放射線治療か抗がん剤治療を行うということ。
放射線治療だと、再発したときの選択肢が狭まるため、抗がん剤治療をしたほうがいいということ。
さらに頸がんと微妙なちがいの体がんなので、どちらにも効くTC療法がいいということ。
母もやってきて、先生は同じことを話してくれた。きっと本人頭が真っ白だろうから、2度聞けてありがたかった。下支えして、一緒に受け止めて考えることしか出来ない。
わたしは内心ホッとした。ステージ4ではなく3になったのだ。5年生存率は20%台から60%台に変わる。しかも後で調べたが体がんのほうが予後がいいようだ。
先生の話を聞いて、さぞ喜んでるかと思いきや、母は意外な反応だった。
「先生の言い方みた?くちごもってたじゃない」
「あと半年は生きられますよねって聞いたら返してくれなかった。前は何言ってるんですかー大丈夫って笑ってくれたのに」
母の中ではむしろ悪化しているストーリーになっていたのだった。わたしがおかんより先に先生から話を聞いてる間に深刻な話をされたと思ってるのか…?同じことを話されたことを説明し、医者は大丈夫なんて言ってはいけないんだよと話しても頑なであった
わたしは心底嫌気がさしてしまった。この人はとことん悲劇のヒロインなのだと。みんなステージ3ということに希望を見出しているのに、「これから」どうしようかを、つらい抗がん剤治療へどう立ち向かうか考えているのに
むろん、母が当事者だし、癌患者に精神的ダメージをくらわすのはよくないと思いつつも、わたしも疲れてしまった。とりあえず退院まではやることがないし、面会もできないので放っておくことにしたのだった。