母のがん

母への愛

投稿日:2021年4月20日 更新日:

天気がいいので実家を片付けしに行くことにした。その前に、乳がんのがんサバイバーである伯母のところへ寄った。

母と伯母は仲が悪い。というか、一方的に母が伯母を嫌っている。なんと言っても10歳も歳が離れているのだ。いつまでも妹扱いされ、何かと使いっ走りにされてきたことを根に持っている。だけど、あと1週間で手術というのに、スープの冷めない距離に住んでいる伯母には絶対に言うなと口止めされていた。

これが我が三姉妹の出来事だったらどうだろうか。妹が病気になって、ねーちゃんには絶対に知らせないでくれと言われたら言わないだろうか?いや、絶対言う。てか、何かあってから言うとかどうなのよ。大人でしょうよ。母の母、つまり祖母はまだ健在だけど、何かあったらあなたに連絡行くでしょうよ。

そう言うわけで、母を裏切って伯母には知らないていでいてもらうのだが、ことの真相を話しておくことになった。(三姉妹会の決定事項)そしてその役目は私なのであった。実家に行く前の30分という限られた時間だけど、生まれてからまだ会ってないぴーすけを連れて突撃訪問であった。なんせ急に実家も行くことになったので。

急な訪問に驚きながらも、何かを察した伯母はただひたすら話を聞いた。そしてショックを受けていた。なんだか胸騒ぎはしていたけれど、疎遠になりかけていて一方的にメールを送っても返事のない母だったのだ。そんな母を気遣っていた。

自分の経験も話してくれた。20年ほど前に患った乳がん。右の手術をした後に、数年後左に見つかった時はかなり絶望的になったこと。それに対して3番目のいとこ(男)が不安を全部吐き出させてくれて、1つずつその不安を解消するために調べたり電話したり手を尽くしてくれたこと。夜眠れない時は隣に布団を敷いて寝てくれたこと。

近くに住んでいたけれど、そんなことはつゆほども知らなかった。

私はそこまでできるだろうか。そんなに母のことが大好きではない。でも、伯母の話を聞いて、母は語らないけれどそういう想いでいることを知った。少なくとも今は気丈に振る舞っているだけなのだと悟った。

また、伯母は東京の有明癌研センターで手術したことを教えてくれ、そういう専門のところでなくて大丈夫なのかをしきりに心配していた。それについてはセカンドオピニオンを勧めてみたけど母は先生を信頼しきっていて聞く耳を持たなかった。だけど確かに餅は餅屋。セカンドオピニオンを受けて、同じ診断なら安心して手術すればいい。少なくともどれが原因のガンなのかぐらい突き止めて欲しいものである。お礼を言って伯母の家を後にした。

実家へ行き、なんでもない話やぴーすけと遊んだりしつつ、有明がんセンターの話もしてみた。セカンドオピニオンに難色は示していたものの、職場の先輩の友達の話、と言うことで詳しく最新情報など話すとちょっと気が向いた。ダメもとで電話をしてみると、今はセカンドオピニオンが非常に混んでいることと、来週手術で間に合わなさそうなことがわかった。でも、電話して聞いたことで「やればよかった」と言う悔いは無くなったように思う。

部屋も片付けた。手術後どれだけ入院するかはまだ決まっていないが、物が多いと掃除も大変だし、どんな状態で戻ってくるかわからない。少しでも片付けて帰ってきたいものだ。でもモチベーションはなかなか上がらない。確かにね、これって死に支度のようなものなのだろうか?

でも、人生何が起こるかわからないよ。絶対に死ぬことがない手術だって、途中で災害があるかもわからん。そう言う時に備えて整理整頓しておくのって大事じゃないかい。でも、一方でずっと考えていたことを伝えてみた。

明日いよいよ検査の結果がわかる。

1番いいのは、PETーCTの結果、転移はなく子宮がんと大腸がんをとっておしまい。そうなったとしても、その後抗がん剤治療をするのに市民病院には通うことになるだろう。今の実家だと通うのはちょっと大変だ。さらに保土ヶ谷公園で散歩したりテニスするのにも手術後は億劫になってしまうかもしれない。ならば星川・天王町エリアに引っ越してくればいいのに、と。

そしてもう一方、最悪の場合。私が想定している最悪の場合は膵臓癌の末期。これはもう手術よりも予後を考えて抗がん剤治療とか化学療法になるだろう。それでもいろんなブログを見てると1年か2年。そうなったとしても、それならそれで近くに住んで様子を見れたほうがいい。ぴっぴやぴーすけに気軽に会える距離がいいのではないか。

もちろん20年以上住んだ今の場所から拠点を移すのは、歳を取れば取るほどめんどくさいだろう。でも、病気がきっかけになって新しい発見もあるかもしれない。そもそも今の場所に住むメリットもあまりないでしょうよ。

母はその話を聞いて、実は私も引っ越すことは考えていたと言った。私の職場復帰の時に近い方が助けになるだろうと。でも病気になって役に立たないと思ったけれど、そういう選択肢もあるんだねと言っていた。まぁ入院中にでも考えておいてよ、とその話はおしまいにしたが。

夫に相談もせず、てか三姉妹会で一言も言ってなかったことを、自然と口にしていた。母のことが大嫌いで家出を何回かした私である。一緒に住む、という選択肢は流石に厳しいけど、前を通りかかって「お、電気ついてるな。起きてるかな」と仕事帰りに寄れる距離だと安心である。

本当に母に反発して遅ればせながらの反抗期であった大学時代、そのことをよく知る友人に、自分の心境の変化を驚きまじりにメールで報告してみた。まさかこんな日が来るとは。病気って、ガンってすげーパワーがあるのね。

「世間ではそれを愛って言うんだぜ。笑」

と返信があった。愛か。そう言われると「ちがう」と言いたくなるが、義務感だけではやってられない、理屈が通らない。これが愛だというのならば私を突き動かしているのは確かに愛なのだな。



-母のがん

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